ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

北海御廟

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
1行: 1行:
-
'''北海御廟'''(ほっかい・ごびょう)は、北海道札幌市中央区にある、北海道開拓の功績者である東本願寺22代'''大谷光瑩'''(現如)(1852-1923<在職:1889-1908>)の分骨所で、[[真宗大谷派札幌別院]]の霊園。
+
'''北海御廟'''(ほっかい・ごびょう)は、北海道札幌市中央区にある、北海道開拓の功績者の[[東本願寺]]22代'''大谷光瑩'''(現如)(1852-1923<在職:1889-1908>)の分骨所で、[[真宗大谷派札幌別院]]の霊園。
光瑩は、「北海道に分骨してほしい」との意志を兼ねてから述べており、生前の大正10年(1921)に北海道教区が現在地の土地を取得。死後、御廟仮堂を建て分骨を迎えて大正14年(1925)以降、(一般門徒の?)墓地とした。昭和9年(1934)10月4日、分骨を納める昭和9年建立の三重塔('''北海廟''')を建立した。近年再建された。
光瑩は、「北海道に分骨してほしい」との意志を兼ねてから述べており、生前の大正10年(1921)に北海道教区が現在地の土地を取得。死後、御廟仮堂を建て分骨を迎えて大正14年(1925)以降、(一般門徒の?)墓地とした。昭和9年(1934)10月4日、分骨を納める昭和9年建立の三重塔('''北海廟''')を建立した。近年再建された。

2016年3月5日 (土) 時点における版

北海御廟(ほっかい・ごびょう)は、北海道札幌市中央区にある、北海道開拓の功績者の東本願寺22代大谷光瑩(現如)(1852-1923<在職:1889-1908>)の分骨所で、真宗大谷派札幌別院の霊園。

光瑩は、「北海道に分骨してほしい」との意志を兼ねてから述べており、生前の大正10年(1921)に北海道教区が現在地の土地を取得。死後、御廟仮堂を建て分骨を迎えて大正14年(1925)以降、(一般門徒の?)墓地とした。昭和9年(1934)10月4日、分骨を納める昭和9年建立の三重塔(北海廟)を建立した。近年再建された。

参考文献

  • 真宗大谷派北海道教区「親鸞web」
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8C%97%E6%B5%B7%E5%BE%A1%E5%BB%9F」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール