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千年家
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年9月28日 (土)
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この時、源四郎に横大路の家名を与え、毘沙門天・法理の火・岩井の水を授けたという。 | この時、源四郎に横大路の家名を与え、毘沙門天・法理の火・岩井の水を授けたという。 | ||
2019年9月28日 (土) 時点における最新版
千年家(せんねんや)は福岡県糟屋郡新宮町上府にある最澄旧跡。毘沙門天を祀り、最澄の授けたという「法理の火」が近年まで継承されていた。横大路家住宅。九州現存最古の民家建築。
歴史
805年に唐から帰国した最澄は上陸した花鶴浜から布教に適した地を求めて独鈷杵と鏡を投げた。源四郎という猟師の案内で立花山の麓の巨石に落ちているのを発見。ここに独鈷寺を創建。 この時、源四郎に横大路の家名を与え、毘沙門天・法理の火・岩井の水を授けたという。
2008年に44代当主が死去。次代当主が転出し、2010年8月、44代当主妻も死去したため、法理の火は西巌殿寺などで一時守られた後、2011年11月4日、宝満山麓の妙香庵に「蓮華のともし火」として遷された。