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南遣迎院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2012年6月30日 (土) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
証空の死去地
証空が1201年(建仁1年)に九条道家の帰依を受けて創建。 当初は、浄土天台真言律の四宗兼学寺院だった
証空は1247年(宝治1年)11月26日、71歳で死去。
発遣の釈迦と来迎の弥陀を当初は本尊としていた。
1583年(天正11年)、二分されて一つは鷹峰の遣迎院(北遣迎院)となった。
明治の廃仏毀釈で衰退したが1914年(大正3年)に復興