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厚狭神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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厚狭神社は山口県山陽小野田市郡にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社。物見山招魂場、厚西招魂社、厚狭護国神社。物見山の中腹にある。

歴史

  • 1866年(慶応2年):家老毛利能登が開設。当初は物見山の山頂にあった。
  • 1877年(明治10年)9月:戊辰戦争以前も対象となり官祭招魂社に指定(1959山口県文化史[1])。
  • 1941年(昭和16年):物見山の中腹に移転。
  • 1955年(昭和30年):神霊碑群を整備。474基があるという

祭神

官祭祭神。山口県風土誌[2]より

  • 1小野万蔵:1866年(慶応2年)四境戦争で豊前国曽根村で戦死。
  • 2二歩荘之介:1866年(慶応2年)四境戦争で豊前国曽根村で戦死。
  • 3静間弥寿太:1866年(慶応2年)四境戦争で豊前国曽根村で負傷して死去。
  • 4山田捨之丞:1866年(慶応2年)四境戦争で豊前国曽根村で負傷して吉田病院で死去。
  • 5原田政之進:1866年(慶応2年)四境戦争で豊前国で捕縛され小倉で殺害。28歳。


資料

  • 1984『山陽町史』「物見山招魂場」[3]
  • 維新の群像 : 金石に刻まれた防長の歴史[4]
  • 津田勉2009「県内二十二の官祭招魂社」『山口県神道史研究』21
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%8E%9A%E7%8B%AD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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