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和歌山東照宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''和歌山東照宮'''(わかやま・とうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦(紀伊国海草郡)にある、[[紀伊徳川家]]創建の[[東照宮]] | + | '''和歌山東照宮'''(わかやま・とうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦(紀伊国海草郡)にある、[[紀伊徳川家]]創建の[[東照宮]]。祭神は[[徳川家康]]・徳川頼宣。[[南龍神社]]を合祀。別当は[[天曜寺]]。[[県社]]。'''紀州東照宮'''。 |
==祭神== | ==祭神== | ||
+ | 江戸時代は東照大権現・[[日吉山王権現]]・[[麻多羅神]]の三神だった(日本歴史地名大系)。 | ||
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*徳川頼宣:南龍神社祭神。 | *徳川頼宣:南龍神社祭神。 | ||
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+ | *1619年(元和5年):徳川頼宣、和歌山藩に入る。(日本歴史地名大系) | ||
+ | 1620年(元和6年)7月:和歌浦雑賀山に起工。安藤直次、彦坂光正、竹林坊賢盛が担当する。(日本歴史地名大系) | ||
+ | *1621年(元和7年)11月24日:鎮座。[[天海]]を導師として勅使中御門資胤・広橋兼賢が参向。25日祭事。関東や[[比叡山]]の僧侶370人が出仕し、3日間にわたり法華千部を読誦した。同時に天曜寺雲蓋院を創建。(日本歴史地名大系) | ||
+ | *1622年(元和8年):例祭の和歌祭、創始。(日本歴史地名大系) | ||
+ | *元和年間、駿府より移築して御装束所と小書院とする。(紀伊続風土記) | ||
+ | *1636年(寛永13年)1月17日:和歌山藩、社領1001石寄進。(日本歴史地名大系) | ||
+ | *1645年(正保2年):朝廷、東照大権現に宮号宣下。以後、東照宮を名乗る。(日本歴史地名大系) | ||
+ | *1870年(明治3年):徳川将軍家の位牌を和歌山城西の丸邸に遷座。歴代藩主の位牌を[[長保寺]]に遷座。(日本歴史地名大系) | ||
+ | *1872年(明治5年):神仏分離。天曜寺は廃絶し、子院大相院に避難した。(日本歴史地名大系) | ||
+ | *1873年(明治6年)4月:和歌山東照宮、[[県社]]列格(神道史大辞典) | ||
+ | *1874年(明治7年):[[南龍神社]]、創建許可。 | ||
+ | *1875年(明治8年)11月:南龍神社、県社列格(神道史大辞典) | ||
+ | *1887年(明治20年):子院大相院、本寺の法灯を継ぎ、雲蓋院と称す。(日本歴史地名大系) | ||
+ | *1920年(大正9年):南龍神社、和歌山東照宮に合祀(1917年(大正6年)とも) | ||
==境内== | ==境内== | ||
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2022年6月12日 (日) 時点における版
和歌山東照宮(わかやま・とうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦(紀伊国海草郡)にある、紀伊徳川家創建の東照宮。祭神は徳川家康・徳川頼宣。南龍神社を合祀。別当は天曜寺。県社。紀州東照宮。
祭神
江戸時代は東照大権現・日吉山王権現・麻多羅神の三神だった(日本歴史地名大系)。
- 徳川家康:
- 徳川頼宣:南龍神社祭神。
歴史
- 1619年(元和5年):徳川頼宣、和歌山藩に入る。(日本歴史地名大系)
1620年(元和6年)7月:和歌浦雑賀山に起工。安藤直次、彦坂光正、竹林坊賢盛が担当する。(日本歴史地名大系)
- 1621年(元和7年)11月24日:鎮座。天海を導師として勅使中御門資胤・広橋兼賢が参向。25日祭事。関東や比叡山の僧侶370人が出仕し、3日間にわたり法華千部を読誦した。同時に天曜寺雲蓋院を創建。(日本歴史地名大系)
- 1622年(元和8年):例祭の和歌祭、創始。(日本歴史地名大系)
- 元和年間、駿府より移築して御装束所と小書院とする。(紀伊続風土記)
- 1636年(寛永13年)1月17日:和歌山藩、社領1001石寄進。(日本歴史地名大系)
- 1645年(正保2年):朝廷、東照大権現に宮号宣下。以後、東照宮を名乗る。(日本歴史地名大系)
- 1870年(明治3年):徳川将軍家の位牌を和歌山城西の丸邸に遷座。歴代藩主の位牌を長保寺に遷座。(日本歴史地名大系)
- 1872年(明治5年):神仏分離。天曜寺は廃絶し、子院大相院に避難した。(日本歴史地名大系)
- 1873年(明治6年)4月:和歌山東照宮、県社列格(神道史大辞典)
- 1874年(明治7年):南龍神社、創建許可。
- 1875年(明治8年)11月:南龍神社、県社列格(神道史大辞典)
- 1887年(明治20年):子院大相院、本寺の法灯を継ぎ、雲蓋院と称す。(日本歴史地名大系)
- 1920年(大正9年):南龍神社、和歌山東照宮に合祀(1917年(大正6年)とも)
境内
- 本社:
- 本地堂:本尊は薬師如来。日光菩薩・月光菩薩・四天王・十二神将も祀る。廃絶。
- 三重塔:本尊は大日如来。左右に八幡宮と愛染明王も祀る。八幡と愛染の両像は多田満仲の守本尊という。廃絶。
- 鐘楼:廃絶。
- 護摩堂:本尊は不動明王。廃絶。
- 神輿舎:
- 御供所:廃絶。
- 宝蔵:廃絶か。
- 竹台:廃絶か。
- 楼門:随身門とも。現存。
- 慈眼堂:本尊は天海。廃絶か。
- 経蔵:廃絶か。
- 御池:竹生島弁才天。現在の弁財天社か。
(紀伊続風土記) (子院や徳川家霊廟は天曜寺を参照)