ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

四天王寺念仏三昧院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年4月17日 (月)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
(ページの作成:「'''四天王寺念仏三昧院'''は大阪府大阪市天王寺区(摂津国東成郡)の四天王寺にあったとみられる寺院。[[四天王寺関連旧跡...」)
 
1行: 1行:
-
'''四天王寺念仏三昧院'''は大阪府大阪市天王寺区(摂津国東成郡)の[[四天王寺]]にあったとみられる寺院。[[四天王寺関連旧跡]]。[[四天王寺短声堂]]や三昧堂に関係あるかもしれないが不詳。
+
'''四天王寺念仏三昧院'''は大阪府大阪市天王寺区(摂津国東成郡)の[[四天王寺]]にあったとみられる[[浄土教]]寺院。[[四天王寺関連旧跡]]。[[四天王寺短声堂]]や三昧堂に関係あるかもしれないが不詳。
 +
 
 +
*1149年(久安5年)11月12日:[[鳥羽法皇]]が御幸して念仏三昧院の落慶法要を行う。「天王寺念仏三昧院供養御願文」が伝わる[https://dl.ndl.go.jp/pid/3431646/1/198]。[[栄西]]はこの法要をきっかけに浄土教が盛んになったと『興禅護国論』と述べている。
 +
*1191年(建久2年)9月18日:焼失。玉葉。百錬抄。[https://dl.ndl.go.jp/pid/1683193/1/19]
 +
*1192年(建久3年)9月13日:再建。落慶法要。[[慈円]]が随喜。心記。[https://dl.ndl.go.jp/pid/782831/1/121]
 +
*1195年(建久6年)5月20日:[[源頼朝]]が剣を奉納。吾妻鏡。
 +
*1195年(建久6年)9月3日:[[九条兼実]]、幸尊から円証へ念仏三昧院主および大勧進を任命。玉葉。[https://dl.ndl.go.jp/pid/1683193/1/20]
 +
*1226年(嘉禄2年)9月16日:藤原頼資・経光が「一念方」で、空阿弥陀仏が「多念方」で、念仏を修す。民経記。[https://dl.ndl.go.jp/pid/1683193/1/28]
-
[[源頼朝]]が参拝。[[鳥羽天皇]]御願寺。
 
[[category:大阪府]]
[[category:大阪府]]

2023年4月17日 (月) 時点における最新版

四天王寺念仏三昧院は大阪府大阪市天王寺区(摂津国東成郡)の四天王寺にあったとみられる浄土教寺院。四天王寺関連旧跡四天王寺短声堂や三昧堂に関係あるかもしれないが不詳。

  • 1149年(久安5年)11月12日:鳥羽法皇が御幸して念仏三昧院の落慶法要を行う。「天王寺念仏三昧院供養御願文」が伝わる[1]栄西はこの法要をきっかけに浄土教が盛んになったと『興禅護国論』と述べている。
  • 1191年(建久2年)9月18日:焼失。玉葉。百錬抄。[2]
  • 1192年(建久3年)9月13日:再建。落慶法要。慈円が随喜。心記。[3]
  • 1195年(建久6年)5月20日:源頼朝が剣を奉納。吾妻鏡。
  • 1195年(建久6年)9月3日:九条兼実、幸尊から円証へ念仏三昧院主および大勧進を任命。玉葉。[4]
  • 1226年(嘉禄2年)9月16日:藤原頼資・経光が「一念方」で、空阿弥陀仏が「多念方」で、念仏を修す。民経記。[5]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%9B%9B%E5%A4%A9%E7%8E%8B%E5%AF%BA%E5%BF%B5%E4%BB%8F%E4%B8%89%E6%98%A7%E9%99%A2」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール