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四天王寺用明殿

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''四天王寺用明殿'''は大阪府大阪市天王寺区の[[四天王寺]]にある[[用明天皇]]の[[霊社]]。
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'''四天王寺用明殿'''は大阪府大阪市天王寺区の[[四天王寺]]にある[[用明天皇]]の[[霊社]]。[[四天王寺聖霊院|聖霊院]]の北にある。[[四天王寺関連旧跡]]。
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1623年(元和9年)『天王寺御建立改渡帳』に記載がありそれ以前からあった。江戸時代には現在の聖霊院奥殿の位置にあった。極楽門、西重門、東重門の東西軸の延長線上にあたる位置で、重視されていたことが推測される。『天王寺誌』には「用明天皇宮」とあり、「[[欽明帝]]、[[敏達帝]]、[[崇峻帝]]、推古帝、[[間人皇后]]」とある。その後、[[徳川家康]]を合祀して東照宮と名前を変えたが、明治維新後は再び用明殿となった。1945年(昭和20年)の大阪大空襲で焼失。位牌は他で祀られていたが2019年(令和1年)12月に再建。
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2019年(令和1年)12月再建。[[四天王寺関連旧跡]]。
 
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2023年4月17日 (月) 時点における版

用明殿

四天王寺用明殿は大阪府大阪市天王寺区の四天王寺にある用明天皇霊社聖霊院の北にある。四天王寺関連旧跡

1623年(元和9年)『天王寺御建立改渡帳』に記載がありそれ以前からあった。江戸時代には現在の聖霊院奥殿の位置にあった。極楽門、西重門、東重門の東西軸の延長線上にあたる位置で、重視されていたことが推測される。『天王寺誌』には「用明天皇宮」とあり、「欽明帝敏達帝崇峻帝、推古帝、間人皇后」とある。その後、徳川家康を合祀して東照宮と名前を変えたが、明治維新後は再び用明殿となった。1945年(昭和20年)の大阪大空襲で焼失。位牌は他で祀られていたが2019年(令和1年)12月に再建。


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