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因幡・大雲院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
因幡・大雲院
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'''大雲院'''は鳥取県鳥取市立川町にある[[天台宗]]寺院。本尊は[[千手観音]]だったが、現在は[[阿弥陀如来]]。[[鳥取東照宮]]の別当で、元は東照宮の入口付近にあった。鳥取藩内で最上位の寺格「四カ寺」の筆頭で、因幡国と伯耆国の天台宗触頭だった。[[天台宗延暦寺派]]。[[輪王寺宮]]の[[院家]]。[[寛永寺]]に葬られた歴代将軍の菩提寺でもある。東隆寺。山号は乾向山。 (参考:同名寺院[[大雲寺]]) == 歴史 == 1650年8月、実成院公侃(池田輝澄の子)が創建。淳光院と称した。寺領200石(東照宮神領500石のうち)。 1674年、観海が住職となり、1707年、観海が輪王寺宮から慈雲院の院室号を与えられるとその名を寺名とするようになり、以後、 住職就任のたびに唯識院、光雲院と改称された。 1815年に池田輝澄(公侃の父)の法号の大雲院に改称されて固定化した。 本尊の千手観音を祀る護摩堂、大師堂([[元三大師]]?)、毘沙門堂などがあった。 1720年の石黒火事、1735年の長田火事で焼失。 1750年、大師堂再建。護摩堂は石黒火事以降は再建されず、毘沙門堂に合祀された。 末寺には[[三仏寺]]もあった。 明治2年、東照宮別当を解かれ、末寺の観音院に移転。明治3年、現在地にあった末寺霊光院に移転合併した。 子院として成就院(蓮正院)・吉祥院・大乗院・得玄院があった。 『日本歴史地名大系』 [[category:鳥取県]]
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