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国束寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[File:四天王寺・阿弥陀堂.jpg|四天王寺阿弥陀堂(旧国束寺観音堂)|thumb|500px]] '''国束寺'''(くづかじ)は三重県度会郡度会町平生にある[[天台宗]]寺院。本尊は[[十一面観音]]。[[和宗]]。山号は涌福智山。[[四天王寺関連旧跡]]。[[伊勢神宮関連旧跡]]。 [[伊勢神宮]]の西12kmの国束山(標高375m)にある。 601年(推古9年)、[[聖徳太子]]が[[天照大神]]の神勅を受けて国束山山頂に創建したと伝える。 元は36の子院があったと伝える。鎌倉時代まで栄えた。室町時代には衰退したが、戦国時代の北畠国永の『年代和歌抄』に禅也法師という僧侶が参籠した時に詠んだ歌として「寺の名も国をつかぬる山なれば世々にしたかくあふがざらめや」とある。 元和初年、藤堂高虎が寺領20石を寄進。 1674年(延宝2年)、和歌山藩主徳川光貞の寄進で、観音堂と荒神堂を再建。 1953年(昭和28年)、大阪大空襲で焼失した[[四天王寺]]復興のため、観音堂を[[四天王寺阿弥陀堂]]として聖天堂を四天王寺納骨堂として移築。境内を山麓に移転。旧荒神堂を本堂として、四天王寺の十一面観音を移して本尊とした。和宗に所属したのはその縁からか。 (寺院ウェブサイト、日本歴史地名大系ほか) ==伽藍== ===山上=== *観音堂:四天王寺に移築。 *聖天堂:四天王寺に移築。 *荒神堂:山麓の現境内に移築して本堂として用いている。 *求聞持堂:廃絶。 *蓮花童子堂:廃絶。 *鎮守堂:廃絶。 *鐘楼堂:山麓の現境内に移築。 *夜奈塚:素盞鳴尊の胞衣塚という。 *白山社:廃絶。『勢陽雑記』には「天照大神の胞衣を奉納し所は穂広峰の頂上、是を奥院と号し鎮守白山権現の堂一宇あり」とある。 *八幡社:廃絶。 *稲荷社:現存。 *弁天堂: *弘法石:山麓 [[category:三重県]]
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