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国泰寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
国泰寺
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'''国泰寺'''(こくたいじ)は、富山県高岡市太田町にある[[臨済宗]]の[[禅宗の本山寺院|本山寺院]]。本尊は[[釈迦如来]]。開山は慈雲妙意。[[法燈派]]の拠点で、[[臨済宗国泰寺派]]大本山。[[普化宗]]ともゆかり深い。当初は[[二上山]]にあり、'''東松寺'''と称した。中世末、雪庭祝陽が現在地に移した。[[専門道場]]が設置されている('''国泰僧堂''')。山号は摩頂山。(参考:同名寺院[[国泰寺_(同名)]]) == 歴史 == ===中世=== 1296年(永仁4年)、慈雲妙意が二上山の麓に結んだ草庵が起源。現在の小竹[[弘源寺]]の地という。心地覚心に学んだ後、1299年(正安1年)、伽藍を整え、東松寺と称した。1327年(嘉暦2年)、[[後醍醐天皇]]の帰依を受け、[[紫衣]]を賜る。1328年(嘉暦3年)、「護国摩頂巨山仁王国泰万年禅寺」の勅額を賜り、「五山之上」である[[南禅寺]]と同格の「北陸鎮護第一禅刹特進出世之大道場」となったという。1339年(延元4年/暦応2年)に越中[[安国寺]]になったという説もある。 国内には他に法灯派の寺院として[[興化寺]]があり、活発な交流もあった。また教線を高原川沿いに南に拡大し、飛騨国に末寺を多数擁した。 1546年(天文15年)、雪庭祝陽が[[後奈良天皇]]綸旨を得るが、[[上杉謙信]]と神保氏の戦いで焼失した。 ===近世=== 天正年間、現在地に移転。江戸時代には[[妙心寺]]末となる一方、1708年(宝永5年)、幕府から法燈派の総本山と認められた。飛騨国の末寺は[[妙心寺]]末宗猷寺に転属したが、法灯派の加賀国の[[伝灯寺]]、越中国の[[興国寺]]・[[越中・蓮華寺]]・[[薬勝寺]]などを配下に置いた。[[普化宗]]の支配にも関わったらしいが不詳。 1721年(享保6年)、法堂・祖堂などを再建して復興した。 ===近代=== 1876年(明治9年)、[[相国寺]]の所轄となったが、1879年(明治12年)には[[相国寺派]]所属のまま、臨済宗国泰寺派を名乗ることを認められた。1905年(明治38年)に独立して正式に[[国泰寺派]]となった。 (国史大辞典、日本歴史地名大系) == 伽藍 == *法堂 *大方丈 *天皇殿 *開山堂 *鎮守堂 *利生塔 *観音堂 *僧堂 *山門 == 組織 == ===歴代住職(中世)=== *1慈雲妙意(1274-1345)<>:国泰寺開山。[[心地覚心]]の法嗣。信濃国出身。1274年(文永11年)生。12歳、越後五智山([[越後国分寺]]とも、小千谷五智院とも)で出家。[[日光山]]で『円覚経』を聴講。[[建長寺]]・[[鎌倉・円覚寺]]で学ぶ。1296年(永仁4年)[[二上山]]に草庵を建てた。そこを訪れた孤峰覚明の進めで、[[興国寺]]を訪れて心地覚心に師事(心地覚心の死後に孤峰覚明の印可を得たともいう)。1299年(正安1年)二上山に戻って東松寺を開いた。1327年(嘉暦2年)に上洛して[[後醍醐天皇]]の帰依を得て、「清泉禅師」号と紫衣を賜ったという。翌年、勅で国泰寺と改称したという。1345年(興国6年/貞和1年)6月3日死去。72歳。清泉禅師。恵日聖光国師。(国史大辞典、日本人名大辞典) *2絶涯覚雲()<>:経歴不詳。氷見興聖寺の開山。「絶崖覚雲」とも。 *3寂岸心光()<>:経歴不詳。 *4覚天宗閑()<>:経歴不詳。安養寺開山。 *5実参妙悟()<>:経歴不詳。 *6晴天覚珍()<>:経歴不詳。氷見仏心寺の開山。 *7虚庵心空()<>:経歴不詳。 *8天祐守鑑()<>:経歴不詳。 *9海門宗光()<>:経歴不詳。 *10月波宗船()<>:経歴不詳。 *11日山宗果()<>:経歴不詳。 *12竹門元楚()<>:経歴不詳。 *13南祖祖薫()<>:経歴不詳。 *14梅嶺宗葩()<>:経歴不詳。 *15堂笑祖玄()<>:経歴不詳。 *16天沢守瑞()<>:経歴不詳。 *17梁雲周棟()<>:経歴不詳。 *18乾翁宗貞()<>:経歴不詳。 *19大梅妙奇()<>:経歴不詳。飛騨方面の布教を進めた。「大海妙奇」は誤り。 *20文坡祖広()<>:経歴不詳。 *21林屋玄春()<>:経歴不詳。 *22一峰宗麟()<>:経歴不詳。 *23用山覚照()<>:経歴不詳。 *24荘海覚椿()<>:経歴不詳。 *25芳桂勝樹()<>:経歴不詳。 *26春渓覚栄()<>:経歴不詳。宝光寺開山。 ===歴代住職(近世)=== *27雪庭祝陽()<>:国泰寺中興。1546年(天文15年)[[後奈良天皇]]綸旨を受け、紫衣勅許。 *28友竹覚松()<>:後奈良天皇綸旨を受ける。 *29嗣山慶胤()<>:[[正親町天皇]]綸旨を受ける。 *30澄月僧精()<>:経歴不詳。 *31〓庭長〓()<>:経歴不詳。 *32英叔宗雄()<>:経歴不詳。 *33泰岳守昶()<>:経歴不詳。 *34南渓元康()<>:経歴不詳。 *35慈伯覚忍()<>:経歴不詳。 *36明岩龍哲()<>:経歴不詳。珠洲吉祥寺20世。 *37天英清竺()<>:正法寺中興。1708年(宝永5年)、将軍徳川綱吉から国泰寺が本寺と認められた。 *38別伝通識()<>:1721年(享保6年)、伽藍復興。 *39万嶽性狄()<>:経歴不詳。 *40北溟自董()<>:経歴不詳。 *41来列玄乗()<>:経歴不詳。 *42賢堂運智()<>:経歴不詳。 *43雪江東縁()<>:経歴不詳。 *44一山一成()<>:経歴不詳。 *45北秀祖冬()<>:経歴不詳。 *46願海恵行()<>:経歴不詳。 *47月洲禅明()<>:経歴不詳。 *48定海義精()<>:経歴不詳。誓度寺中興。 *49典栄志謙()<>:経歴不詳。実相寺中興。 *50陽嶽嵩寿()<>:経歴不詳。 *51完堂文悦()<>:経歴不詳。 *52〓巌文猊()<>:経歴不詳。 *53実応是参()<>:経歴不詳。「実応是三」。 ===住職(近代)=== 独立以降は管長在職期間を住職在職期間とみなした。 *54越叟義格(1837-1884)<1874-1884>:松尾義格。[[全生庵]]を創建。[[山岡鉄舟]]と協力して国泰寺を復興。 *55雪門玄松(1850-1915)<1884->:道津雪門。鈴木大拙や西田幾多郎の師匠。 *56瑞雲義寛()<?-1909>:梅田瑞雲。[[国泰寺派]]管長初代。1905年(明治38年)管長。 *57龍水英堯(1857-1934)<1909-1934>:佐竹龍水。国泰寺派管長2代。1909年(明治42年)師家・管長を就任。 *58悦巌大喜(1887-1944)<1934-1944>:勝平大喜。国泰寺派管長3代。1934年(昭和9年)師家・管長を就任。 *59大眉敬俊(1882-1964)<1944-1951>:釈大眉。国泰寺派管長4代。1944年(昭和19年)9月、師家・管長を就任。1951年(昭和26年)3月退任。 *60江嶽義南(1883-1953)<1952-1953>:飯塚江嶽。国泰寺派管長5代。1952年(昭和27年)師家・管長を就任。1953年(昭和28年)在職中に死去。 *61大拙宗演(1899-1973)<1953-1963>:寺本大拙。国泰寺派管長6代。1953年(昭和28年)師家・管長を就任。1963年(昭和38年)退任。[[妙心寺東海庵]]に隠棲。 *62心田元明(1906-1986)<1964-1986>:稲葉心田。国泰寺派管長7代。1964年(昭和39年)5月師家・管長を就任。 *63大道宗弘(1947-)<1987->:沢大道。国泰寺派管長8代。1987年(昭和62年)9月、師家・管長を就任。 『望月仏教大辞典』は57世まで。 [[category:富山県]]
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