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土佐・瑞応寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年9月26日 (土)
瑞応寺(ずいおうじ)は高知県高知市洞ケ島町にある曹洞宗寺院。長宗我部家の菩提寺。御霊信仰で神格化された薫的がいた寺院として知られる。江戸時代まで薫的神社の場所にあった。現在は「薫的宗」の大本山を名乗るらしい。山号は祥鳳山。 (参考:同名寺院瑞応寺_(同名))
歴史
土佐国長岡郡岡豊(高知県南国市)にあった兼序寺が前身。 長宗我部元親が父母追善のために再興して瑞応寺と改めた。 慶長年間、城の移転に伴い、洞ケ島に移転。多くの末寺を持ち、山内家の入国まで土佐第一の寺院だったという。
薫的は1664年に死去した藩主山内忠義の戒名を巡って真如寺了谷と論争。 薫的は投獄され、1671年、獄死した。 薫的は小高坂山に埋葬されたが、異変が現れ、1727年、瑞応寺境内に改葬した。 改葬後、墓の上には薫的堂が建てられ信仰を集めた。
明治初年、一時廃絶となり、薫的堂は洞島神社(薫的神社)となった。 瑞応寺は神社の東北に再興された。 (『日本歴史地名大系』)