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土佐・要法寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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のち長浜城主となった山内一豊が要法寺を菩提寺とした。 | のち長浜城主となった山内一豊が要法寺を菩提寺とした。 | ||
一豊が遠江国掛川(静岡県掛川市)に移封となると、1590年、要法寺も掛川に随従。 | 一豊が遠江国掛川(静岡県掛川市)に移封となると、1590年、要法寺も掛川に随従。 |
2020年9月27日 (日) 時点における版
要法寺(ようぼうじ)は高知県高知市筆山町(土佐国土佐郡)にある日蓮宗寺院。長浜時代からの山内家の菩提寺の一つ。位牌殿があった。山号は神力山。
歴史
文亀年間、近江国長浜(滋賀県長浜市)に日仁が久遠寺の末寺として創建。 のち長浜城主となった山内一豊が要法寺を菩提寺とした。 一豊が遠江国掛川(静岡県掛川市)に移封となると、1590年、要法寺も掛川に随従。 さらに土佐入国で吾川郡浦戸城に移転。高知城築城で城下町の下町に移った。
寛永初年に本堂を造営。伽藍を整備していった。 1687年火災で焼失。1688年、現在地が替地として与えられ再建された。 1692年、客殿と共に位牌殿を造営し、山内家歴代を祀った。 1706年、常法華堂を建立。 (『日本歴史地名大系』)