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大和・霊山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大和・霊山寺
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'''霊山寺'''(りょうせんじ)は、奈良県奈良市にある[[真言宗]]寺院。奈良時代に渡来したインド僧[[菩提僊那]]の墓がある。本尊は、[[薬師三尊]]像。[[行基建立四十九院]]の一つの'''[[隆福院]]'''('''登美院''')とみなされる。昭和初期に感得された[[弁財天]]を祀る大弁財天堂がある。霊山寺真言宗大本山を称す。[[修験道]][[当山派]]の[[正大先達]]の一つで[[十二正大先達]]の一つ。山号は鼻高山、登美山。(参考:同名寺院[[霊山寺]]) == 歴史 == 壬申の乱に敗れた小野富人は登美山に閑居。熊野本宮大社に参籠した時薬師如来を感得し、登美山に祀り、薬草湯屋を建てた。小野富人は登美仙人、鼻高仙人と呼ばれた。 734年(天平6年)、鼻高仙人の夢告を受けた[[聖武天皇]]が[[行基]]に命じて創建。736年(天平8年)、菩提僊那がインドの[[霊鷲山]]に似ているとして霊山寺と名付けたという。 奈良時代の古瓦が出土している。 平安時代初頭には[[空海]]が訪れ、弁財天を奥之院に祀った。また乗阿が[[聖宝]]に従い、大峰山再興に尽力したという。 中世、[[興福寺一乗院]]末となる。[[西大寺]][[叡尊]]に霊山寺成真が師事している。 1283年(弘安6年)、北条時頼が寺領を寄進し、堂宇再建。 1602年(慶長7年)(1602)、[[徳川家康]]から100石寄進。 昭和前期、円照尼に弁財天の神託がおり、以後、弁財天信仰が盛んとなる。 明治以後、[[金剛峰寺]]の末寺となるが、1951年(昭和26年)、独立(国史大辞典)。 (寺院ウェブサイト、国史大辞典、日本歴史地名大系、日本大百科全書) == 伽藍 == *本堂:本尊は薬師如来。日光菩薩・月光菩薩も祀る。鎌倉時代初期。1283年(弘安6年)改築。 *大弁財天堂:弁才天の本地仏の聖観音を祀る。 *黄金殿:大弁才天を祀る。 *白金殿:大龍神を祀る。 *三重塔: *行者堂:役小角、不動明王、青面金剛を祀る。 *開山堂: *大師堂: *奥之院: *鐘楼: *十六所神社:村社。本堂の裏にある。 *[[菩提僊那墓]]: *八体仏霊場: *行基像: ==組織== ===歴代住職=== [[category:奈良県]]
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