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大徳寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大徳寺
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'''大徳寺'''(だいとくじ)は、京都府京都市北区紫野にある[[臨済宗]]の[[禅宗の本山寺院|本山寺院]]。[[臨済宗大徳寺派]]大本山。龍宝山。 == 歴史 == 1315年(正和4年)、あるいは1319年(元応1年)、赤松則村が宗峰妙超のために小寺を創建。1326年(嘉暦1年)に大伽藍が完成する。十刹となる。[[花園法皇]]と[[後醍醐天皇]]の南北両朝により、この寺は宗峰妙超の弟子筋のみが受け継ぐと認められ、一流相承制が確立する。応仁の乱で焼失するが、[[一休宗純]]の禅風と堺商人の後援で復興する。 ==歴代住職== *開山[[宗峰妙超]](1282-1337) *1徹翁義亨:山内に徳禅寺を創建。 *2令翁宗雲 *3愚翁宗碩 *4虎渓道壬 *5平泉道均 *6蒋山仁禎 *7言外宗忠:如意庵を創建 *8卓然宗立 *9法雲操堂 *10明叟 *47[[一休宗純]]:[[後小松天皇]]皇子 *153[[沢庵宗彭]]:紫衣事件。品川[[東海寺]]を創建。 <!-- 『日本仏家人名辭書』に歴代一覧 --> == 山内寺院 == ===別院的寺院=== *[[龍翔寺]]:応燈関派開祖の南浦紹明の塔所。後宇多天皇菩提寺。 *[[徳禅寺]]:大徳寺の別院的寺院。 大徳寺開山の徹翁義亨が開いた。徹翁義亨の塔所正伝庵もある。応仁の乱で焼失後、祖渓宗臨が再建した。 ===四派本庵=== *[[大徳寺大仙院]]:古嶽宗亘の流れを組む大仙派(北派)の本庵。方丈造本堂の典型。足利義政が送った石をつかった庭園が有名。古嶽宗亘が永正6年(1509)に創建。 *[[大徳寺龍源院]]:東溪宗牧(仏慧大円禅師)の流れを組む龍源派(南派)の本庵。畠山義元、大友義親、大内義興が協力して東溪宗牧を開山として文亀2年(1502)に創建。紫式部の墓がある。 *[[大徳寺龍泉庵]]:陽峯宗韶の流れを組む龍泉派の本庵。陽峯宗韶が明応年間に創建。元和年間に日新宗益が再興。明治9年に芳春院に合併するが、昭和33年再興される。 *[[大徳寺真珠庵]]:一休宗純の流れを組む真珠派の本庵。永享年間の創建。一休宗純の塔所。村田珠光作の庭園がある。珠光の墓はある。 ===北派=== *[[大徳寺三玄院]]:石田三成、浅野幸長、森可成(森忠政とも)が春屋宗園を開山として天正14年(1586)に創建。明治期に一時廃絶となった龍翔寺の地に移転し、土地と伽藍を受け継ぐ *[[大徳寺高桐院]]:[[細川家]]の菩提寺。慶長6年(1602)、細川忠興が細川幽斎の菩提寺として幽斎の弟玉甫紹琮(大悲広通禅師)を開山に創建。千利休から移した書院を利用。茶室松向軒がある。細川家墓地。 *[[大徳寺玉林院]]:正親町天皇、後陽成天皇の侍医であった正琳が、月岑宗印(大興円光禅師)を招いて慶長8年(1603)に正琳院として創建。焼失後、月岑宗印が再興し、玉林院と改称した。 *[[大徳寺龍光院]]:[[有栖川宮]]と福岡藩主[[黒田家]]の菩提寺。黒田長政が父孝高の菩提寺として江月宗玩を開山に創建。ただし春屋宗園を勧請開山とする。 *[[大徳寺芳春院]]:金沢藩主[[前田家]]の菩提寺。前田利家の室芳春院(まつ)が慶長13年(1608)に玉室宗珀を開山として創建。開山堂などを兼ねる呑湖閣がある。北庭と南庭がある。前田家墓地があり、前田利家の霊廟、芳春院の霊廟がある。茶室落葉亭、松月軒、如是庵がある。片桐石州の墓、近衛家、醍醐家の墓地もあるという。 *瑞源院 *寸松庵 *[[大徳寺孤篷庵]]:小室藩初代藩主小堀政一(小堀遠州)が江月宗玩を開山として慶長17年(1612)に龍光院内に創建。寛永20年(1643)に現在地に移転した。焼失後、松江藩主松平治郷(不昧公)が再興。茶室忘筌、山雲がある。小堀遠州墓、松平治郷墓がある。 *[[大徳寺大源庵]](廃寺) ===南派=== *[[大徳寺黄梅院]]:織田信秀(信長の父)、小早川家・毛利家の菩提寺。永禄5年(1562)、織田信長が春林宗俶を開山として創建した黄梅庵が起源で、のち小早川隆景が玉仲宗琇に帰依し天正16年(1588)に整備された。方丈本堂は豪華な彫刻で彩られている。小早川隆景墓、蒲生氏郷墓がある。 *[[大徳寺正受院]]: 清菴宗胃が天文年間に創建。開基は伊勢亀山城主関盛衡。明治期に焼失し、昭和戦後期に山口玄洞が再建した。 *[[大徳寺金龍院]]:廃絶。金森長近が松嶽紹長を開山として16世紀末に創建。明治に廃絶となる。 *[[大徳寺昌林院]]:廃絶。和溪宗順が創建した霜〓軒に始まる。先甫宗賢が慶長年間、蒲生氏郷を檀越として改称。天保年間に衰退。 *碧玉庵:籃溪宗瑛が天正年間に創建。大慈院の子院。立花宗茂の菩提寺。 ===その他=== *[[大徳寺聚光院]]:千利休の菩提寺。三好長慶が笑嶺宗〓を開山として永禄9年(1566)に創建。千利休の墓所。 *[[大徳寺興臨院]]:畠山家菩提寺。前田家の菩提寺ともなったという。戦国大名畠山義総が小溪紹〓(仏智大通禅師)を開山として大永年間に創建。茶室涵虚亭がある。 *[[大徳寺養徳院]]:祇園にあった妙雲院が起源。将軍足利義満弟の娘文渓聖詮が、母の妙雲院殿を弔うために妙雲院を創建。姉の竺英聖瑞が妹の死後、大徳寺の春浦宗熈に相談したところ、寛正6年(1465)、大徳寺そばに移転。のち塔頭となり、永正4年(1507)には現在地にあったという。 *[[大徳寺大慈院]]:天淑宗眼が天正19年に創建。紫式部の碑がある。 *[[大徳寺瑞峯院]]:大友宗麟が天文4年(1535)に徹岫宗九を開山として創建。庭園は昭和の枯山水。 *[[大徳寺如意庵]]:大徳寺で最も古い塔頭寺院。言外宗忠が応安年間に創建。応仁の乱で焼失後、祖渓宗臨が再建した。廃止合併や再興を繰り返した後、昭和47年、大亀宗雄が現在地に再興した。 *[[大徳寺総見院]]:織田信長の菩提寺・墓所。天正11年(1583)、豊臣秀吉が古渓宗陳を開山として創建。本堂には織田信長坐像がある。織田信長墓、織田秀雄墓、織田信雄墓、織田信忠墓、織田秀勝墓、織田信高墓、織田信好墓などがある。 *[[大徳寺大光院]]:豊臣秀長の菩提寺。大和郡山で、秀吉に追放されたが京都に復帰した古渓宗陳が文禄元年(1592)に創建。藤堂高虎が京都に移転させる。昭和29年現在地に移った。 *[[大徳寺来光寺]]:清巌宗渭(清浄方然禅師)が中興。昭和戦前に現在地に移転。 *[[大徳寺松源院]]:春浦宗熈(正続大宗禅師)が創建した。明治維新で廃絶となるが、昭和55年、奈良県宇陀市に再興。 *[[大徳寺雲林院]] *[[大徳寺天瑞寺]]:豊臣秀吉の母大政所の菩提寺。廃絶。秀吉が母の寿墓を建てるために玉仲宗琇を開山として創建。大政所の葬儀が行われた。明治7年廃絶となり、跡地にはのち龍翔寺が再興された。 *[[大徳寺瑞雲軒]] *[[大徳寺栽松軒]]:大林宗套(仏印円証禅師、正覚普通国師)が天文10年(1541)に創建。 *[[大徳寺祥林軒]]:江隠宗顯(円智常照禅師)が創建。 *[[大徳寺長勝庵]]:初期の塔頭。廃絶。 *[[大徳寺大用庵]]:初期の塔頭。廃絶。 *[[大徳寺太清院]]:岐庵宗揚が文明年間に創建した。のち龍泉庵に移管されて寮舎となる。 *[[大徳寺久昌院]] [[category:京都府]]
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