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大極殿
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
大極殿
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[[ファイル:Heian-jingu (7).jpg|thumb|300px|平安神宮拝殿として縮小復元された大極殿]] '''大極殿'''は[[皇宮]]・[[都城]]の中心となった正殿。飛鳥時代に原型ができ、中世まで続いた。廃滅後は内裏の[[紫宸殿]]が中心となった。 ==儀礼== ===儀礼=== *即位礼 *朝賀 *視告朔 ===神事=== *[[大嘗祭]] *例幣使発遣 *神嘗祭使発遣:後殿の小安殿で行う。 *斎宮群行 ===仏教行事=== *即位灌頂 *[[御斎会]] *吉祥悔過 *仁王会:[[一代一度仁王会]] *仏名会 *季御読経 ===陰陽道=== *三万六千神祭 ==年表== ===盛衰=== *645年(大化1年):[[飛鳥板蓋宮]]に大極殿があったという。大極殿の初見。日本書紀 *681年(天武10年):[[飛鳥浄御原宮]]に大極殿があった。日本書紀 *701年(大宝1年):[[藤原宮]]に大極殿があった。続日本紀。遺跡も発見。 *710年(和銅3年)頃:[[平城宮]]に大極殿。 *743年(天平15年)頃:[[恭仁宮]]に平城宮大極殿を移築。のち[[山城国分寺]]金堂に転用。 *784年(延暦3年)頃:[[長岡宮]]に後期[[難波宮]]の大極殿を移築か。小安殿が初めて設けられた。 *795年:[[平安京]][[平安宮]]の大極殿完成か。 *815年:地方から19800人を集めて本格的な修理。屋根に緑釉瓦を採用。 *876年(貞観18年)4月16日:大極殿焼失。 *879年(元慶3年)10月8日:大極殿再建。三代実録 *1058年(康平1年)2月26日:大極殿焼失。応天門と左方の楼は残る。 *1072年(延久4年)4月2日:大極殿再建。扶桑略記。15日とも。 *1177年(治承1年)4月28日:大極殿焼失。再建されず。大極殿廃絶となった。 *1994年:発掘調査で大極殿基壇の遺構を初めて確認した。 ===調査研究=== *1895年(明治28年):[[平安神宮]]拝殿として縮小復元。 *2010年(平成22年):平城宮跡に平城宮第一次大極殿を復元。 [[category:系譜記事]]
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