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大津宮仏殿

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''大津宮仏殿'''は、近江国の[[大津宮]]の内裏にあった仏殿。671年、即位前の[[天武天皇]]がここで出家したことが日本書紀に記されている。
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'''大津宮仏殿'''は、近江国の[[大津宮]]の内裏にあった仏殿。本尊は繍仏だった。宮中にある仏殿の初例。
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[[南滋賀町廃寺]]と関連付ける見方もある。
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671年(天智10年)10月17日、死期を悟った[[天智天皇]]が[[大海人皇子]]に皇位を譲ろうとしたところ、大海人皇子は機が熟していないことを察知し、内裏仏殿の南で出家し、[[吉野]]に去った。そして11月23日、「内裏西殿繍仏像前」で[[大友皇子]]が群臣と共に天智天皇の詔を受けて誓約した(天智天皇は12月3日に崩御)。[[南滋賀町廃寺]]と関連付ける見方もある。
[[category:滋賀県]]
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2021年5月5日 (水) 時点における版

大津宮仏殿は、近江国の大津宮の内裏にあった仏殿。本尊は繍仏だった。宮中にある仏殿の初例。

671年(天智10年)10月17日、死期を悟った天智天皇大海人皇子に皇位を譲ろうとしたところ、大海人皇子は機が熟していないことを察知し、内裏仏殿の南で出家し、吉野に去った。そして11月23日、「内裏西殿繍仏像前」で大友皇子が群臣と共に天智天皇の詔を受けて誓約した(天智天皇は12月3日に崩御)。南滋賀町廃寺と関連付ける見方もある。

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