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大野丘北塔
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年9月8日 (土)
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- | '''大野丘北塔''' | + | '''大野丘北塔'''(おおののおかのきたのとう)は大和国高市郡[[飛鳥]]にあった日本最古の[[仏塔]]。跡地不詳。『日本書紀』によると敏達天皇14年、[[蘇我馬子]]が建立。2月15日に竣工し法要を営んだようだが、直後に起こった疫病が崇仏による国神の祟りだとして3月30日には塔は倒され焼かれてしまった。[[豊浦寺]]の近くにあったとも。橿原市和田町の[[和田廃寺]]跡に当たるとする説があったが1975年(昭和50年)の調査で否定された。橿原市石川町にある[[大和・大歳神社]]を大野丘跡とする伝承がある。 |
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2018年9月8日 (土) 時点における最新版
大野丘北塔(おおののおかのきたのとう)は大和国高市郡飛鳥にあった日本最古の仏塔。跡地不詳。『日本書紀』によると敏達天皇14年、蘇我馬子が建立。2月15日に竣工し法要を営んだようだが、直後に起こった疫病が崇仏による国神の祟りだとして3月30日には塔は倒され焼かれてしまった。豊浦寺の近くにあったとも。橿原市和田町の和田廃寺跡に当たるとする説があったが1975年(昭和50年)の調査で否定された。橿原市石川町にある大和・大歳神社を大野丘跡とする伝承がある。