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天竺五山
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年5月27日 (日)
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- | 『岩波仏教辞典 | + | 『岩波仏教辞典 第二版』によると、中国では天竺五山に習って、[[中国五山十刹|五山]]を選定したが、「事実はむしろ中国五山の根拠をインド仏教史に求めたに」過ぎないとしている。[[五山]]も参照。 |
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|[[竹林精舎]](ヴェーヌヴァナ) | |[[竹林精舎]](ヴェーヌヴァナ) | ||
- | | | + | |[[ラージギル]](王舎城) |
|迦蘭陀が竹林を寄進し、ビンビザーラ王(頻婆娑羅王)が創建。現在はイスラム墓地となっている。 | |迦蘭陀が竹林を寄進し、ビンビザーラ王(頻婆娑羅王)が創建。現在はイスラム墓地となっている。 | ||
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|[[祇園精舎]](祇樹給孤独園精舎) | |[[祇園精舎]](祇樹給孤独園精舎) | ||
- | | | + | |[[シュラーヴァスティー]](舎衛城) |
|祇陀太子の土地だったのをスーダッタ(須達)が買い取って寄進。7世紀には荒廃。 | |祇陀太子の土地だったのをスーダッタ(須達)が買い取って寄進。7世紀には荒廃。 | ||
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|[[大林精舎]] | |[[大林精舎]] | ||
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|『観普賢経(懺悔経)』が説かれた。 | |『観普賢経(懺悔経)』が説かれた。 | ||
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+ | [[Category:インド共和国]] |
2018年5月27日 (日) 時点における最新版
天竺五山 |
概要
『岩波仏教辞典 第二版』によると、中国では天竺五山に習って、五山を選定したが、「事実はむしろ中国五山の根拠をインド仏教史に求めたに」過ぎないとしている。五山も参照。
系譜
竹林精舎(ヴェーヌヴァナ) | ラージギル(王舎城) | 迦蘭陀が竹林を寄進し、ビンビザーラ王(頻婆娑羅王)が創建。現在はイスラム墓地となっている。 |
祇園精舎(祇樹給孤独園精舎) | シュラーヴァスティー(舎衛城) | 祇陀太子の土地だったのをスーダッタ(須達)が買い取って寄進。7世紀には荒廃。 |
誓多林精舎 | ||
大林精舎 | ヴァイシャリ(毘舎離) | 『観普賢経(懺悔経)』が説かれた。 |
ナーランダー寺院(那爛陀寺) | ナーランダー | 仏教大学。-12C。シャカ自身は来ていない。 |