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妙泉寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[ファイル:822145AB-50CA-4CAB-8166-5F7D71D59CA1.jpeg|寂光寺内にある「妙泉寺報恩塔」|thumb|250px]] '''妙泉寺'''は京都にあった[[日蓮宗]]寺院。[[洛中法華二十一寺]]の一つ。[[日什門流]]。天文法難後は[[京都・寂光寺|寂光寺]]内にあった。戦後廃絶。山号は本湧山。(参考:同名寺院[[妙泉寺_(同名)]]) [[松ケ崎・妙泉寺]]と混同されることがあるが別寺。 == 歴史 == 1431年(永享3年)4月28日、[[妙満寺]]5世の日舜が綾小路に創建。 1460年(寛正1年)に畠山義就が京都を追放された際に加勢要請に応じなかったため、のちに復権した時、冷遇された。 1495年(明応4年)、再建。 1536年(天文5年)の天文法難で焼失。1541年(天文10年)、三条坊門室町に再建。あるいは三条油小路にあった時期もあるらしい。 [[豊臣秀吉]]の都市改造で、1590年(天正18年)8月、現在の[[行願寺]]のあたりにあった寂光寺内に移転。寂光寺もその直前の同年2月に室町近衛から移ってきたばかりだった(「京都の近世都市化」[https://doi.org/10.20624/sehs.10.7_643])。 1708年(宝永5年)の宝永の大火で、1710年(宝永7年)、現在地の寂光寺の地に移転。戦後、寂光寺に併合された(日蓮宗事典)。 (『日本歴史地名大系』、古事類苑ほか) ==組織== ===歴代=== *日舜(1379-1454)<>:霊鷲院。妙満寺5世。 ==資料== * 「妙泉寺古絵図写」:『社寺境内図資料集成』2に収録。 *「妙泉寺建物図」:同上。 *「妙泉寺伽藍古図」:1788年に奉行所に提出したもの。 <Gallery> file:A664B3FC-9649-4D1B-ABDE-2A85D113E241.jpeg| file:88D00FD9-DE76-448F-80C2-2E91AFC51697.jpeg| file:C65FA673-1E1B-40A4-80B9-4948508E8CD9.jpeg| file:069892F0-F18E-4736-BFDA-561BDBE1D33E.jpeg| file:0C757260-E6FA-433E-9361-DD634AB35FB6.jpeg| </Gallery> [[category:京都府]]
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