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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

妙泉寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月25日 (土)

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妙泉寺は京都にあった日蓮宗寺院。洛中法華二十一寺の一つ。日什門流。天文法難後は寂光寺内にあった。戦後廃絶。山号は本湧山。(参考:同名寺院妙泉寺_(同名)松ケ崎・妙泉寺と混同されることがあるが別寺。

目次

歴史

1431年(永享3年)4月28日、妙満寺5世の日舜が綾小路に創建。 1460年(寛正1年)に畠山義就が京都を追放された際に加勢要請に応じなかったため、のちに復権した時、冷遇された。 1495年(明応4年)、再建。 1536年(天文5年)の天文法難で焼失。1541年(天文10年)、三条坊門室町に再建。あるいは三条油小路にあった時期もあるらしい。 豊臣秀吉の都市改造で、1590年(天正18年)8月、現在の行願寺のあたりにあった寂光寺内に移転。寂光寺もその直前の同年2月に室町近衛から移ってきたばかりだった(「京都の近世都市化」[1])。 1708年(宝永5年)の宝永の大火で、1710年(宝永7年)、現在地の寂光寺の地に移転。戦後、寂光寺に併合された(日蓮宗事典)。

(『日本歴史地名大系』、古事類苑ほか)

組織

歴代

  • 日舜(1379-1454)<>:霊鷲院。妙満寺5世。

資料

  • 「妙泉寺古絵図写」:『社寺境内図資料集成』2に収録。
  • 「妙泉寺建物図」:同上。
  • 「妙泉寺伽藍古図」:1788年に奉行所に提出したもの。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%A6%99%E6%B3%89%E5%AF%BA」より作成

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