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宇佐・正覚寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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'''正覚寺'''(しょうがくじ)は、豊後国宇佐郡(大分県宇佐市)の[[御許山]]にあった寺院。廃絶。[[宇佐神宮関連旧跡]]。南側7合目にあった。山内には御許六坊として石垣坊・東之坊・西之坊・谷之坊・成就坊・椙洞院があった。 | '''正覚寺'''(しょうがくじ)は、豊後国宇佐郡(大分県宇佐市)の[[御許山]]にあった寺院。廃絶。[[宇佐神宮関連旧跡]]。南側7合目にあった。山内には御許六坊として石垣坊・東之坊・西之坊・谷之坊・成就坊・椙洞院があった。 | ||
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2018年4月7日 (土) 時点における版
正覚寺(しょうがくじ)は、豊後国宇佐郡(大分県宇佐市)の御許山にあった寺院。廃絶。宇佐神宮関連旧跡。南側7合目にあった。山内には御許六坊として石垣坊・東之坊・西之坊・谷之坊・成就坊・椙洞院があった。
歴史
延喜19年(919)、神託により豊前国司惟房が伽藍を建てたという。 承徳3年(1099)、大江匡房が六口の僧を置き、御許六坊の起源となった。 石体権現を始め、講堂・鐘楼・護法堂・観音堂・東僧坊・西僧坊などがあった。 明治元年1月の御許山騒動で焼失。
(日本歴史地名大系)