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宇蘇浦官軍墓地
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2016年5月8日 (日)
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- | '''宇蘇浦官軍墓地'''(うそうら・かんぐんぼち)は、熊本県玉名郡玉東町木葉にある、西南戦争の政府軍戦没者333柱を葬る[[官修墳墓]] | + | '''宇蘇浦官軍墓地'''(うそうら・かんぐんぼち)は、熊本県玉名郡玉東町木葉にある、西南戦争の政府軍戦没者333柱を葬る[[官修墳墓]]。官軍病院として使用された[[浄土真宗]]徳成寺の北の山中にある。1877年(明治10年)3月3日から4月3日にかけての田原坂・植木方面の戦闘の戦死者が眠る。内訳は第十四連隊第三大隊長の吉松秀枝少佐、谷村計介伍長をはじめとする将校24人、下士官47人、兵卒249人、軍夫13人。「明治十年之役官軍戦死者墳墓地」碑がある。(徳成寺ウェブサイトでは、被葬者数を士官25人、下士官47人、兵卒250人、軍夫13人、東京警視局巡査隊64人の計399人とする)(高野和人編1990『靖國神社忠魂史 西南の役』青潮社、徳成寺ウェブサイト) |
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2016年5月8日 (日) 時点における最新版
宇蘇浦官軍墓地(うそうら・かんぐんぼち)は、熊本県玉名郡玉東町木葉にある、西南戦争の政府軍戦没者333柱を葬る官修墳墓。官軍病院として使用された浄土真宗徳成寺の北の山中にある。1877年(明治10年)3月3日から4月3日にかけての田原坂・植木方面の戦闘の戦死者が眠る。内訳は第十四連隊第三大隊長の吉松秀枝少佐、谷村計介伍長をはじめとする将校24人、下士官47人、兵卒249人、軍夫13人。「明治十年之役官軍戦死者墳墓地」碑がある。(徳成寺ウェブサイトでは、被葬者数を士官25人、下士官47人、兵卒250人、軍夫13人、東京警視局巡査隊64人の計399人とする)(高野和人編1990『靖國神社忠魂史 西南の役』青潮社、徳成寺ウェブサイト)