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安徳天皇旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年1月30日 (日)
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2022年1月30日 (日) 時点における最新版
安徳天皇旧跡 |
目次 |
概要
のち水天宮に祀られるようになった。
系譜
名称 | 国郡 | 所在地 | 概要 | 社格など | |
---|---|---|---|---|---|
福原京 平頼盛邸 | 荒田八幡神社 | 摂津国八部郡 | 兵庫県神戸市兵庫区荒田町3-99 | 福原京行在所跡に鎮座する神社。1180年(治承4年)6月3日、安徳天皇は高倉上皇・後白河法皇とともに、福原に行幸し、仮に平頼盛邸を行在所とした(大日本史料総合データベース)。わずか二日間の滞在であった。のち高倉上皇の行在所となった。荒田八幡神社は、行在所跡に創建された宝地院の鎮守であった。「安徳天皇行在所址」碑、「福原遷都八百年記念之碑」がある。 | |
福原京 平頼盛邸 | 宝地院 | 摂津国八部郡 | 兵庫県神戸市兵庫区荒田町3-17-1 | 福原京行在所跡にある寺院。安徳天皇菩提寺。浄土宗。「薬王山宝地院」。1279年(弘安2年)に安徳天皇の菩提を弔うために創建されたという。 | |
福原京 平野殿 | (平野殿跡地) | 摂津国八部郡 | 兵庫県神戸市兵庫区雪御所町 | 福原京行在所跡地。1180年(治承4年)6月5日、安徳天皇は平清盛邸、平野殿に行在所を移した。平野殿は雪見御所の隣に設けられた。「本皇居」と呼ばれた。福原で一番長く滞在した行在所であった。現在、雪見御所の碑はあるが、平野殿跡を示す碑などはない。 | |
福原京 内裏 | (福原京 内裏跡地) | 摂津国八部郡 | 兵庫県神戸市中央区楠町7 | 福原京内裏跡地。位置不詳。1180年(治承4年)11月11日、安徳天皇は平野殿より新しく造営された内裏へと移った(大日本史料総合データベース)。新嘗祭の五節舞がここで行われた。10日ほどの滞在で、11月23日に京都へ還幸した。 | |
一の谷行在所 | 安徳宮 | 摂津国八部郡 | 兵庫県神戸市須磨区一の谷町2 | 一ノ谷行在所伝承地に鎮座する安徳天皇奉斎神社。平家政権は安徳天皇を奉じて、1183年(寿永2年)7月25日に京都を発した(大日本史料総合データベース)。この都落ちの途中に、ここに滞在したというが、このことは、古典籍には見えない。 | |
那珂川行在所 | 安徳宮 | 筑前国那珂郡 | 福岡県筑紫郡那珂川町安徳 | 那珂川行在所伝承地に鎮座する安徳天皇奉斎神社。原田種直館跡。平家物語に原田種直館に滞在したという記述が見られる。 | |
大宰府行在所 | 太宰府跡 | 筑前国御笠郡 | 福岡県太宰府市観世音寺4-6-1 | 大宰府行在所跡地。1183年(寿永2年)8月28日、太宰府に到着した(大日本史料総合データベース)。 | |
宇佐行在所 | 安楽院 | 豊前国宇佐郡 | 大分県宇佐市森山 | 宇佐行在所跡地にある寺院。1183年(寿永2年)、平家は安徳天皇を奉じて宇佐大宮司宇佐公通の邸宅跡地(森山城跡)の館に滞在した。その旧跡とされる。本尊は薬師如来である(太宰管内志)。曹洞宗寺院。宇佐大宮司家の宮成家の菩提寺。境内には安徳天皇供養塔(十三重石塔)や、宇佐公通墓がある。 | |
樋井川行在所 | 御子神社 | 筑前国早良郡 | 福岡県福岡市城南区樋井川3-43-17 | 樋井川行在所伝承地に鎮座する安徳天皇奉斎神社。太宰府から吉井に向かう途中、この地を通り過ぎたとき、しめ縄に引っかかり井戸に落ちたという。村社。 | 村社 |
山鹿城行在所 | 大君神社 | 筑前国遠賀郡 | 福岡県遠賀郡芦屋町 | 山鹿城行在所伝承地に鎮座する安徳天皇奉斎神社。1183年(寿永2年)10月20日に安徳天皇らは山鹿城に到着(大日本史料総合データベース)。『平家物語』によると、太宰府を脱出した安徳天皇は、山鹿秀遠の居城である山鹿城に移ったという。大君神社は山鹿城跡の片隅に鎮座している。 | |
柳御所 | 御所神社 | 豊前国企救郡 | 福岡県北九州市門司区大里戸ノ上1-11 | 柳御所行在所伝承地に鎮座する安徳天皇奉斎神社。「柳の御所」跡。『平家物語』によると、山鹿城を経て豊前柳ケ浦に到着した安徳天皇は、ここに仮内裏を造営することを沙汰した。豊前柳ケ浦の候補地は二つあるが、一つがここの門司の大里とされる(もう一つは宇佐柳ケ浦)。伝承地としては当地に疫神社と木船社があったが、ここは木船社の後裔らしい。佐野経彦(神理教祖)が1863年(文久3年)に訪れて、「柳御所考」を記している。 | |
牟礼行在所 | 六万寺 | 讃岐国三木郡 | 香川県高松市牟礼町牟礼1450 | 牟礼行在所となった寺院。1183年(寿永2年)10月、屋島に至ったが、まだ屋島の行在所は完成していなかったため、完成(翌年1月1日か)までの間、六万寺に滞在したという伝承がある。六万寺は本尊は薬師如来である。もと薬師如来を六万体奉安したのでこの名がついたという。古伝によると、827年(天長4年)真済が創建したという(「宝蔵院古暦記」)。真言宗善通寺派。 | |
屋島行在所 | (屋島行在所跡) | 讃岐国山田郡 | 香川県高松市屋島 | 屋島行在所跡地。1183年(寿永2年)10月に屋島に至り、1月1日行宮に入る(大日本史料総合データベース)。所在不詳(一ノ谷敗退後と同じか。) | |
福原行在所 | (福原行在所跡) | 摂津国八部郡 | 兵庫県神戸市兵庫区 | 福原行在所跡地。所在不詳(旧・福原京か。あるいは須磨の一ノ谷行在所か。)。1184年(元暦1年)1月、安徳天皇らは屋島から福原に移った。2月7日の一ノ谷の戦いに敗れるまでここに滞在した。 | |
屋島行在所 | 安徳天皇社 | 讃岐国山田郡 | 香川県高松市屋島東町 | 屋島行在所伝承地に鎮座する安徳天皇奉斎神社。1184年(元暦1年)、平家軍は2月7日の一ノ谷の戦いに敗北して、屋島に撤退した。1年間ほどの滞在であったが、翌1185年(文治1年)2月19日、屋島の戦いに敗れて、彦島に敗走した。 | |
彦島行在所 | (彦島行在所跡) | 長門国豊浦郡 | 山口県下関市彦島 | 彦島行在所跡地。所在不明。1185年(文治1年)2月19日、平家軍は屋島の戦いに敗北し、安徳天皇を奉じて西走し、もう一つの平家の拠点であった彦島に行在所を遷した。3月24日の壇ノ浦の戦いまでここに滞在した。 | |
崩御地 | 安徳天皇崩御地 | 長門国豊浦郡 | 山口県下関市みもすそ川町1 みもすそ川公園 | 安徳天皇崩御地。1185年(文治1年)3月24日、壇ノ浦の戦いにて平家軍は敗北し、安徳天皇は入水した。壇ノ浦を望むところにみもすそ川公園があり、「安徳帝御入水之処の碑」が建てられている。 | |
下関 | 安徳天皇殯斂地伝承地(赤間神宮小門御旅所) | 長門国豊浦郡 | 山口県下関市伊崎町 | 安徳天皇殯斂地伝承地。赤間神宮の社伝によると、安徳天皇の遺骸が引き上げられ、ここに仮奉安されたという。赤間神宮の御旅所となっている。 | |
下関 | 安徳天皇陵 下関伝承地(現陵) | 長門国豊浦郡 | 山口県下関市阿弥陀寺町4-1 | 安徳天皇陵の伝承地。治定陵墓。阿弥陀寺御影堂跡地。 | 天皇陵 |
下関 | 赤間神宮 | 長門国豊浦郡 | 山口県下関市阿弥陀寺町4-1 | 安徳天皇を祀った神社。もと阿弥陀寺御影堂。 | 官幣大社 |
下関 | 阿弥陀寺 | 長門国豊浦郡 | 山口県下関市阿弥陀寺町4-1 | 安徳天皇の菩提寺。陵墓の上に安徳天皇を祀る御影堂(赤間神宮)があった。 | 官寺 |
西市 | 安徳天皇陵 西市伝承地(西市陵墓参考地) | 長門国豊浦郡 | 山口県下関市豊田町地吉 | 安徳天皇陵の伝承地。「王居止御陵」とも称す。陵墓参考地となっている。 | 陵墓参考地 |
宇倍野 | 安徳天皇陵 宇倍野伝承地(宇倍野陵墓参考地) | 因幡国法美郡 | 鳥取県鳥取市国府町岡益 | 安徳天皇陵の伝承地。陵墓参考地となっている。 | 陵墓参考地 |
宇倍野 | [長通寺]] | 因幡国法美郡 | 鳥取県鳥取市国府町岡益 | 安徳天皇菩提寺。聿来山。曹洞宗。 | |
久留米 | 日輪寺 | 筑後国御井郡 | 福岡県久留米市京町279 | 安徳天皇菩提寺。「海東山日輪寺」。久留米城の二の丸にあった。観音は安徳天皇念持仏という。臨済宗。 | |
久留米 | 安徳天皇陵 久留米伝承地 | 筑後国御井郡 | 福岡県久留米市京町279 | 安徳天皇陵の伝承地。「日輪寺古墳」。日輪寺にある。実際には古墳時代の古墳である。国指定史跡。 | |
久留米 | 水天宮 | 筑後国御井郡 | 福岡県久留米市瀬下町265 | 安徳天皇奉斎神社。 | 県社 |
対馬 | 安徳天皇陵 佐須伝承地(佐須陵墓参考地) | 対馬国下県郡 | 長崎県対馬市厳原町久根田舎 | 安徳天皇陵の伝承地。陵墓参考地となっている。 | 陵墓参考地 |
対馬 | 銀山上神社 | 対馬国下県郡 | 長崎県対馬市厳原町久根田舎御所山507 | 安徳天皇潜幸御所伝承地に鎮座する神社。 | 式内社 |
対馬 | 天神神社(厳原八幡宮境内) | 対馬国下県郡 | 長崎県対馬市厳原町中村645 | 安徳天皇潜幸御所伝承地に関連する安徳天皇奉斎神社。 | |
熊本 | 安徳天皇陵 花園伝承地(花園陵墓参考地) | 肥後国宇土郡 | 熊本県宇土市立岡町 | 安徳天皇陵の伝承地。「晩免古墳」。陵墓参考地となっている。 | 陵墓参考地 |
祖谷 | 剣山本宮剣神社 | 阿波国美馬郡 | 徳島県美馬市木屋平川上カケ1 | 安徳天皇が宝剣を埋納したという。 | |
祖谷 | 安徳天皇火葬塚 祖谷伝承地 | 阿波国美馬郡 | 徳島県三好市東祖谷阿佐 | 安徳天皇の火葬塚伝承地。「安徳天皇御火葬場」。 | |
祖谷 | 安徳天皇陵 祖谷伝承地(栗枝渡八幡神社) | 阿波国美馬郡 | 徳島県三好市東祖谷栗枝渡 | 安徳天皇陵の伝承地。安徳天皇の遺骨を奉安して創建されたという。境内に火葬塚がある。 | |
越智 | 横倉宮 | 土佐国高岡郡 | 高知県高岡郡越知町越知 | 横倉山にある安徳天皇奉斎神社。越知は平家落人伝承のある集落である。横倉山は平家従臣を祀る神社が無数に祭られている。 | |
越智 | 安徳天皇陵 越知伝承地(越智陵墓参考地) | 土佐国高岡郡 | 高知県高岡郡越知町越知 | 横倉山にある安徳天皇陵伝承地。横倉山は平家従臣を祀る神社が無数に祭られている。「鞠ケ奈呂陵」とも称す。陵墓参考地となっている。 | 陵墓参考地 |
- 安徳天皇陵_企救伝承地:福岡県北九州市小倉南区隠蓑。