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官社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[ファイル:Sdre-572.JPG|thumb|250px|広島県福山市の素盞嗚神社の「式内社]碑]] '''官社'''とは、古代朝廷による国家祭祀の対象となった[[神社]]のこと。 これらの神社は、一般に'''式内社'''の呼称で知られているが、延喜式前後にも変遷はあったのであり、既に江戸時代に[[伴信友]]が主張したように官社と呼ぶのが適切と考えられる。 [[山科神社]]や[[大原野神社]]のように?延喜式以後に官社になった神社もあるらしい? 祈年祭班幣は延喜年間には衰微していた(三善清行の「意見十二箇条」) 平安時代後期から全国一律の祭祀制度はなりたたなくなり、特に有力な神社にのみ祭祀の対象とするようになった。 中央では二十二社奉幣、地方では諸国一宮、国内神名帳所載神社への崇敬が中心となった。 鎌倉時代、室町時代には官社への奉幣は細々と行われていたが、応仁の乱で完全に途絶。 元禄年間に復興の機運があったが、実現しなかった。 近代にも復興が目指されたが、国家祭祀の対象となったのは皇室祭祀と官国幣社約200社のみに限られた。 中世の衰微で所在が分からなくなった神社が多く、江戸時代の官社の考証と復興顕彰が各地で進む中で、複数説があがることも少なくなく、時には争論に至ることもあった。 争論の解決策として、新たな場所に神社を建てられることも明治初年まであった。 == 年譜 == *崇神天皇7年11月:天社・国社を定め、神地神戸を定めたという(日本書紀)。古事記にも崇神天皇の代に「天神地祇之社」を定めたとある。 *天武天皇10年1月:天社地社を修理したという。 *大宝年間:「神祇之簿」を作成(古語拾遺) *702年7/8:山背国乙訓郡の火雷神を祈年祭と月次祭の対象とする。官社の確実な初見。 *706年2月:19社が祈年祭の幣帛の例に入り「其神名具神祇官記」とある。 *710年:大宝律令。大中小社を定めた。大社は伊勢神宮と八幡宮、中社は賀茂住吉など。その他は小社。(法曹至要抄) *天平年間:「神帳」を勘造したという(古語拾遺) *737年:官社が全国に行き渡ったという。 *772年8/6:「官社」の語の初見。 *798年:国幣が始まる(類聚国史) *927年:延喜式編纂。3132座。6861所。 ==画像== <Gallery widths="300" heights="200" perrow="3"> ファイル:積川神社002.jpg </Gallery> [[Category:系譜記事]]
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