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実勝寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | '''実勝寺''' | + | '''実勝寺'''(じっしょうじ)は、[[清朝]]初期の首都だった盛京([[瀋陽]])に、[[パスパ]]が作ったとされる[[大黒天]]を祀るために建てられた、[[チベット仏教]]寺院。瀋陽に現存。1638年創建。清朝皇室とゆかりが深く、'''皇寺'''と呼ばれる。モンゴル地方における[[レガリア]]であった元朝由来の'''大黒天像'''を祀ることで、元朝を継承する清朝という立場の正統性を高め、モンゴル支配の強化を図った。 |
北京遷都前の最大の寺院で、清朝の仏教建築、仏教美術の濫觴とされる。 | 北京遷都前の最大の寺院で、清朝の仏教建築、仏教美術の濫觴とされる。 | ||
大黒天像は辛亥革命によって失われたという。 | 大黒天像は辛亥革命によって失われたという。 |
2015年4月20日 (月) 時点における版
実勝寺(じっしょうじ)は、清朝初期の首都だった盛京(瀋陽)に、パスパが作ったとされる大黒天を祀るために建てられた、チベット仏教寺院。瀋陽に現存。1638年創建。清朝皇室とゆかりが深く、皇寺と呼ばれる。モンゴル地方におけるレガリアであった元朝由来の大黒天像を祀ることで、元朝を継承する清朝という立場の正統性を高め、モンゴル支配の強化を図った。 北京遷都前の最大の寺院で、清朝の仏教建築、仏教美術の濫觴とされる。 大黒天像は辛亥革命によって失われたという。