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専修寺智恵光院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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専修寺智恵光院は、三重県津市にある浄土真宗寺院。真宗高田派専修寺の子院。三ケ院の一つ。西院。宝寿院、智光院とも。8世真淳が学僧として活躍し学頭とされ連枝格となる。龍珠軒真祐が創建。

  • 1真祐(?-1569)<>:1569年(永禄12年)11月24日死去[1][2]
  • 7真証(1707-1762)<>:1707年(宝永4年)生。公報ともいう。西園寺致季の猶子。如来堂造営の中心的な役割を果たした。専修寺18世円遵の師範となる。法印権大僧都。1762年(宝暦12年)9月14日死去。56歳。一仏乗院と号す。
  • 8真淳(1736-1807)<1758->:真証の長男。1736年(元文1年)生。1747年(延享4年)得度。京都で学ぶ。1758年(宝暦8年)智恵光院住職。1762年(宝暦12年)から専修寺で講義。1796年(寛政8年)専修寺学頭。1797年(寛政9年)権僧正。妻帯せず。1807年(文化4年)5月29日死去。金光明院と号す。著書多数。
  • 円崇(1819-1883)<>:円禎の弟。1819年(文政2年)生。幼名は棟若。1832年(天保3年)得度。無量幢院と号す。1883年(明治16年)2月20日死去。65歳。[3]

資料

  • 『智恵光院法脈相承記』
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B0%82%E4%BF%AE%E5%AF%BA%E6%99%BA%E6%81%B5%E5%85%89%E9%99%A2」より作成

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