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小竹八幡宮 - SHINDEN

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小竹八幡宮

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''小竹八幡宮'''は、神功皇后の行宮跡に鎮座する八幡宮。主祭神は、「誉田別命、息長足姫命、小竹大神」である(『和歌山県神社誌』)。『日本書紀』によると、神功皇后は忍熊王の乱において、紀伊にて皇子応神天皇と合流して、'''小竹宮'''に滞在した。この小竹宮跡に建てられたのが当社という。創建年代は不詳。1585年(天正13年)に豊臣秀吉の紀伊攻略によって焼失。元は現在の御坊市立体育館付近にあったが、1678年(延宝6年)に現在地に遷座した。境内社として宿祢神社や龍王大海神社がある。旧鎮座地に'''元宮'''('''元八幡''')があり、また祝塚がある。1881年(明治14年)郷社に列格する。例祭は10月4-5日の御坊祭である。(『和歌山県神社誌』、『全国八幡神社名鑑』、『神奈備』、『平成祭礼データ』)
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*[[応神天皇旧跡]]
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*[[歴代天皇宮跡]]
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'''小竹八幡宮'''は、神功皇后の行宮跡に鎮座する八幡宮。「小竹八幡神社」と称す。主祭神は、「誉田別命、息長足姫命、小竹大神」である(『和歌山県神社誌』)。『日本書紀』によると、神功皇后は忍熊王の乱において、紀伊にて皇子応神天皇と合流して、'''小竹宮'''に滞在した。この小竹宮跡に建てられたのが当社という。創建年代は不詳。1585年(天正13年)に豊臣秀吉の紀伊攻略によって焼失。元は現在の御坊市立体育館付近にあったが、1678年(延宝6年)に現在地に遷座した。境内社として宿祢神社や龍王大海神社がある。旧鎮座地に'''元宮'''('''元八幡''')があり、また祝塚がある。1881年(明治14年)郷社に列格する。例祭は10月4-5日の御坊祭である。(『和歌山県神社誌』、『全国八幡神社名鑑』、『神奈備』、『平成祭礼データ』)

2011年4月5日 (火) 時点における版

小竹八幡宮
しの はちまんぐう
概要 神功皇后行宮の小竹宮旧跡に鎮座する八幡宮。
所在地 和歌山県御坊市薗642
所在地(旧国郡) 紀伊国日高郡
社格など 郷社
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小竹八幡宮は、神功皇后の行宮跡に鎮座する八幡宮。「小竹八幡神社」と称す。主祭神は、「誉田別命、息長足姫命、小竹大神」である(『和歌山県神社誌』)。『日本書紀』によると、神功皇后は忍熊王の乱において、紀伊にて皇子応神天皇と合流して、小竹宮に滞在した。この小竹宮跡に建てられたのが当社という。創建年代は不詳。1585年(天正13年)に豊臣秀吉の紀伊攻略によって焼失。元は現在の御坊市立体育館付近にあったが、1678年(延宝6年)に現在地に遷座した。境内社として宿祢神社や龍王大海神社がある。旧鎮座地に元宮元八幡)があり、また祝塚がある。1881年(明治14年)郷社に列格する。例祭は10月4-5日の御坊祭である。(『和歌山県神社誌』、『全国八幡神社名鑑』、『神奈備』、『平成祭礼データ』)

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