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尾山御坊
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
尾山御坊
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'''尾山御坊'''(おやま・ごぼう)は、加賀国金沢にあった[[浄土真宗]]の[[御坊寺院]]。現在の[[本願寺金沢別院]]・[[真宗大谷派金沢別院]]の前身。'''金沢御堂'''。 == 歴史 == [[松岡寺]]、[[加賀・本泉寺|本泉寺]]、[[光教寺]]、[[願得寺]]の四ケ寺などが指導する'''加賀一向一揆'''('''小一揆''')は加賀国の実権を握っていたが、当時、加賀に亡命していた越前出身の[[加賀・超勝寺]]と[[加賀・本覚寺]]が本山[[本願寺]]と結びついて('''大一揆''')、両者は対立。周辺の武将も介入し、軍事衝突した。この戦いを'''大小一揆'''と呼ぶ。その結果、大一揆が勝利し、本願寺は小一揆を指導した僧を処刑した。さらに末寺の統率のために天文15年(1546)、本願寺は加賀国金沢に'''尾山御坊'''を創建した。越前勢力も衰退し、本願寺の直接支配が進んでいった。尾山御坊は石垣を備えた事実上の城郭で、その場所は現在の金沢城跡周辺とみられるが不詳。 大小一揆後、加賀一向一揆の拠点として加賀国の政治を司ったが、天正8年(1580)、佐久間盛政に滅ぼされ、真宗の支配は終わった。11年(1583)、袋町に再興されたがこれが現在の[[本願寺金沢別院]]である。また東西分立すると御坊が西本願寺に付いたため、東本願寺は後町にあった専光寺を新たに御坊としたが、これが現在の[[真宗大谷派金沢別院]]である。 == 参考文献 == *木場明志監修、2012『別院探訪』真宗大谷派宗務所出版部 ほか [[Category:石川県]]
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