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山梨県護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
山梨県護国神社
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[[file:山梨県護国神社 (10).jpg|thumb|600px|社殿全景]] '''山梨県護国神社'''(やまなしけん・ごこくじんじゃ)は、山梨県甲府市岩窪町にある[[招魂社]]。躑躅が崎館の東方の山裾にある。[[内務大臣指定護国神社]]。[[神社本庁]][[別表神社]]。 摂社に[[山梨宮]]がある。占領期の名称も'''山梨宮'''。 ==祭神== *25047柱(神社庁ウェブサイト2020年) ==歴史== *1879年(明治12年)12月:[[山梨県神道事務局]]の発議で、遊亀公園隣接地に創建。(『靖国神社百年史』) *1908年(明治41年)4月:第49連隊の駐屯に伴い、遊亀公園に招魂堂(『靖国神社百年史』) *1942年(昭和17年)2月:現在地に起工(『靖国神社百年史』) *1944年(昭和19年)11月28日:内務大臣指定の「山梨県護国神社」となる。(『靖国神社百年史』) *1944年(昭和19年)11月29日:遷座祭。(『全国護国神社会二十五年史』) *1944年(昭和19年)11月30日:竣工奉告祭 奉祝祭(『全国護国神社会二十五年史』) *1946年(昭和21年)10月12日:「山梨宮」と改称。(『靖国神社百年史』には30日)(『全国護国神社会二十五年史』) *1952年(昭和27年)10月25日:「山梨県護国神社」に復称。(『靖国神社百年史』には11/12)(『全国護国神社会二十五年史』) *1960年(昭和35年)10月5日:合祀概了奉告祭(『全国護国神社会二十五年史』) *1964年(昭和39年)10月28日:社殿屋根吹き替え改修、参道玉垣神庫社務所、改新築竣工(『全国護国神社会二十五年史』) *1965年(昭和40年)10月5日:終戦20周年祭(『全国護国神社会二十五年史』) *1968年(昭和43年)10月5日:明治維新百年奉祝大祭(『全国護国神社会二十五年史』) *1976年(昭和51年)4月:旧陸軍墓地(現・つつじが崎霊園)より境内に納骨堂を移転。(銘文) *1978年(昭和53年)6月30日:二の鳥居、竣工。(銘文) *2005年(平成17年)8月:四の鳥居、竣工。(銘文) *1996年(平成8年)7月1日:別表神社に加列(年誌)。 4/5に春季例大祭、10/5に秋季例大祭、8/13-18にみたま祭を行っている。 ==境内== *本社 *山梨宮:学者、義民、殉職自衛官などを祀っている。1952年創建。祭神の一人加賀美光章は甲府市下小河原の日吉神社の祠官で、[[国学者]]でもあり[[山県大弐]]の師でもある。志村天目は加賀美光章の弟子で[[心学者]]という。 *戦没者納骨堂:旧[[陸軍墓地]]により移転。7月と10月に慰霊祭を県主催で行っている。 <Gallery widths="240" heights="240" perrow="3"> file:山梨県護国神社 (23).jpg|参道 file:山梨県護国神社 (22).jpg|本殿 file:山梨県護国神社 (2).jpg| file:山梨県護国神社 (3).jpg| file:山梨県護国神社 (4).jpg| file:山梨県護国神社 (5).jpg| file:山梨県護国神社 (9).jpg| file:山梨県護国神社 (11).jpg| file:山梨県護国神社 (14).jpg| file:山梨県護国神社 (16).jpg| file:山梨県護国神社 (19).jpg| file:山梨県護国神社 (17).jpg|山梨宮 file:山梨県護国神社 (20).jpg|山梨宮 file:山梨県護国神社 (21).jpg| file:山梨県護国神社 (1).jpg| file:山梨県護国神社 (6).jpg| file:山梨県護国神社 (7).jpg| </Gallery> == 組織 == ===宮司=== *赤岡重樹(1884-1965)<1945->:郷土史家。[[神宮皇学館]]卒業。著書は『甲斐国古社史考』。 *羽中田進 [[category:山梨県]]
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