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山田寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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山田寺(やまだでら)は、奈良県桜井市山田にある南都仏教の寺院。本尊は長谷寺式十一面観音。法相宗。山号は大化山。浄土寺、華厳寺。
歴史
『上宮聖徳法王帝説』によると、641年、整地を始め、643年金堂を建立。648年から僧侶が使用し始めたが、649年、蘇我石川麻呂がここで政変に逢い自害した。日本書紀は同年3月24日25日のことと記す。 その後、天智天皇2年、塔を建立。天武天皇6年、丈六仏像を鋳造。13年、これを開眼し、山田寺と名付けた。翌年8月12日、天武天皇行幸。『諸寺建立次第』によると金堂に三尊像と石川麻呂の御影を祀り講堂に十一面観音と薬師三尊を祀っていた。四天王寺式に近い伽藍配置が確認されており、これを山田寺式という場合もある。
長元7年(1034)、検校善妙が政変の忌日に法華八講を始めた。 文治3年(1187)3月、講堂本尊の薬師像が興福寺東金堂衆に奪取され、同堂の本尊とされたが、応永18年(1411)に火災に遭い、頭部のみが残された。
1197年には多武峰寺の末寺になっていた(多武峰略記)。
天保12年、石川麻呂の子孫を称する山田重貞という越前の人が雪冤碑を建立。
昭和51年から奈良国立文化財研究所が発掘調査している。