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岡本宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年7月27日 (金)
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'''岡本宮'''(おかもとのみや)は、大和国平群郡(奈良県生駒郡斑鳩町岡本)にあった[[聖徳太子]]の御所。[[法起寺]]の前身。[[法隆寺関連旧跡]]。 | '''岡本宮'''(おかもとのみや)は、大和国平群郡(奈良県生駒郡斑鳩町岡本)にあった[[聖徳太子]]の御所。[[法起寺]]の前身。[[法隆寺関連旧跡]]。 | ||
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2018年7月27日 (金) 時点における最新版
岡本宮(おかもとのみや)は、大和国平群郡(奈良県生駒郡斑鳩町岡本)にあった聖徳太子の御所。法起寺の前身。法隆寺関連旧跡。
歴史
『日本書紀』によると推古天皇14年(606)7月に聖徳太子が岡本宮で日本初となる法華経講説を行ったという。また『上宮法王帝説』によると、それ以前に推古天皇6年(598)に聖徳太子が岡本宮で勝鬘経を講説したという(『日本書紀』では法華経講説の直前に勝鬘経を3日で講説したとするが場所は不詳)。のち太子夫人の蘇我刀自古郎女(山背大兄王の生母)が居住したとみられる。1960年〜1980年の発掘調査で、法起寺下層遺構として玉石溝や石敷溝が見つかっている。(『法隆寺史 上』ほか)