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岳飛旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
岳飛旧跡
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'''岳飛'''(がくひ)(1103-1142)は南宋建国期の武将。金軍との和平を主張する文官の策で、謀反の疑いで獄死した。救国の英雄として神格化された。。 '''岳飛廟'''・'''岳王廟'''に祀られる。[[関羽]]と合祀した場合は[[関岳廟]]と呼ばれる。 ==略歴== 貧しい農家の出身で、金軍の侵攻に際して義勇軍に参加し、頭角を見せた。宣撫使に異例の出世を遂げ、一大軍閥を築く。 皇帝高宗や宰相秦檜は和平の方針を固めたが、岳飛は戦闘継続を主張。 1141年、将軍職に任命され、実戦部隊から切り離され、都に呼び戻された。 謀反の疑いで投獄され没した。39歳。 1178年、金国との緊張が高まると岳飛の存在が想起され、「武穆」の諡号を追贈。 1204年、鄂王に追封された。 == 一覧 == *[[岳廟]]:浙江省杭州市西湖区。岳飛の墓がある。杭州岳王廟。 *[[開封・岳飛廟]]:河南省開封市祥符区朱仙鎮。 *武昌・岳飛廟:湖北省武漢市。 *湯陰・岳飛廟:河南省安陽市湯陰県。 *台南・岳王廟:台湾台南市。 *碧霞宮:台湾宜蘭県宜蘭市。 [[category:人物旧跡]]
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