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峰定寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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[[file:Kokudo0317.jpg|thumb|300px|峰定寺(国土地理院空中写真より)]] '''峰定寺'''(ぶじょうじ)は、京都府京都市左京区花背原地町にある[[修験道]][[本山派]]の寺院。本尊は[[千手観音]]。修験道根本道場の[[大峰山]]に擬して'''北大峰'''ともいう。[[聖護院]]から離れて単立だった時代もあるが、現在は[[本山修験宗]]別格本山。'''峯定寺'''。'''慈眼院'''。山号は大悲山で、'''大悲山寺'''ともいう。 大悲山周辺は近世初期までは丹波国桑田郡だったが、1645年までに山城国愛宕郡に転じた。 [[熊野]]那智山で2年、大峯山で3年にわたり修行したという観空西念が1154年2月に千手観音を祀って創建。 4月、[[鳥羽上皇]]の勅願で[[不動明王]]と[[毘沙門天]]も祀った。 観音の脇侍に不動と毘沙門を配するのは天台宗系の様式で、[[延暦寺横川中堂]]に通じる。現在の本尊像はこの創建当時のものだと考えられている。 1156年、信西が『大悲山峰定寺縁起』を記す。 1159年、藤原忠通が寺領を寄進。[[平清盛]]が仏舎利などを奉納したという。 平安時代末成立の『以呂波字類抄』には寺名はでないものの、大悲山の岩窟の脇に霊石があり、千手観音に擬せられているとつづられている。 比較的近い[[鞍馬寺]]の末寺となるが、1326年には両寺の間で本末争論が起こる。 さらに峰定寺の支配を巡って[[延暦寺]]と[[園城寺]]が争ったため、寺運は衰退したという。 1350年、現在の懸け造りの本堂が造営された。同年造営の供水所は現存最古の閼伽井屋の遺構という。 1686年の『雍州府志』には[[聖護院]]に属すとあるが、1705年の『山城名勝志』には[[醍醐寺三宝院]]末とある。 享保年間、成就院の元快が入って中興した。 成就院は[[貴船神社]]奥院の近くにあったが、嘉永年間に流失したという(京都府愛宕郡村志)。 [[俊寛]]の塔、獅子岩がある。 山中には行場があり、山上には蔵王権現が祀られている。 (『日本歴史地名大系』ほか) *「大悲山寺縁起」[https://doi.org/10.20730/200015560] [[Category:京都府]]
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