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常陸・常福寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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1602年、[[徳川家康]]から朱印地100石を寄進された。 | 1602年、[[徳川家康]]から朱印地100石を寄進された。 | ||
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+ | 1649年、本堂再建。 | ||
1676年、[[徳川光圀]]の執奏で常紫衣となった。 | 1676年、[[徳川光圀]]の執奏で常紫衣となった。 | ||
1708年、檀林ごと向山に移転([[向山常福寺]])。瓜連の旧地は1717年に蓮華院と称し、常院代が置かれた。 | 1708年、檀林ごと向山に移転([[向山常福寺]])。瓜連の旧地は1717年に蓮華院と称し、常院代が置かれた。 |
2022年1月11日 (火) 時点における版
常福寺(じょうふくじ)は、茨城県那珂市瓜連にある、浄土宗の旧檀林寺院。了誉聖冏旧跡で関東浄土宗の中心的寺院だった。後花園天皇の勅願所。紫衣寺院。関東十八檀林。瓜連常福寺。蓮華院と号す。山号は草地山。(参考:同名寺院常福寺)
歴史
1338年、成阿了実が太田城主佐竹義敦の帰依を受けて創建。成阿了実は村松虚空蔵に布教にふさわしい場所が見つかるように祈願したところ、瑞夢を得て春日川沿いの瓜連の里に至った。そこに白蓮華が咲く地を見つけて霊告に示す勝縁の地として堂宇を建てた。これが現在の白蓮塚の地という。1388年焼失。1405年、了誉聖冏が瓜連城跡の現在地に再建した。1416年、兵火で焼失。 1452年、後花園天皇から勅願所の綸旨を受けた。 1543年、後奈良天皇から常福寺勅額を受けたという。 1601年、関東十八檀林の一つとされ(『日本歴史地名大系』)、 1602年、徳川家康から朱印地100石を寄進された。 1634年、水戸城近くの常葉山の水戸東照宮に徳川秀忠を祀る台徳院廟が建立されたが、その別当の円浄寺は常福寺の兼務とされた。 1649年、本堂再建。 1676年、徳川光圀の執奏で常紫衣となった。 1708年、檀林ごと向山に移転(向山常福寺)。瓜連の旧地は1717年に蓮華院と称し、常院代が置かれた。
1843年、向山常福寺が徳川斉昭の廃仏政策で廃絶したため(諸説あり。1864年、向山常福寺が幕末の兵乱で焼失したためとも)、瓜連蓮華院が再び瓜連常福寺に復帰した。 1965年、本堂再建。 1995年10月22日再建。