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広済院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
広済院
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'''広済院'''(こうさいいん)は美濃国神坂峠(岐阜県中津川市神坂)にあった[[最澄]]ゆかりの布施屋。神坂峠は美濃国と信濃国の国境で、古代東山道最大の難所といわれ、信濃国側の[[広拯院]]と共に最澄が建てたという。 ==歴史== 817年(弘仁8年)、東国布教に赴いた最澄は神坂峠の急峻さに驚き、峠の両側に休憩所として布施屋を設けたという。 跡地は諸説あるが、1958年(昭和33年)11月25日、霧ケ原に「傳教大師廣濟院遺趾顕彰碑」建立。1938年(昭和13年)4月から石碑建立が計画されたものの停滞していたが、[[天台宗延暦寺派]]信越教区が開宗1150年記念事業として奔走して実現した。[[延暦寺]]の飛地境内地となっているらしい。跡地は[[細野薬師堂]]という説もある。 1978年(昭和53年)、延暦寺の経営ではないが、延暦寺の名を冠した[[天台宗]]系の老人ホーム延暦寺広済寮が設立された。広済寮には最澄像がある。2019年(令和1年)1月、広済寮が岐阜県中津川市落合に移転。 [[category:岐阜県]]
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