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延暦寺安楽律院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2017年7月30日 (日) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
安楽律院(あんらくりついん)は、滋賀県大津市の比叡山延暦寺の横川地区飯室谷にある浄土教と律を修する天台宗寺院。安楽律院流の拠点だった。旧本尊は源信作の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩(焼失)。天台宗延暦寺派。安楽院。(参考:同名寺院安楽院)
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歴史
浄土教の道場
寛和元年(985)10月、叡桓が範好・忠正・延久・惟慶と共に建てた念仏道場が起源。翌年夏、源信を招き、念仏行法を始めた。この時、慶滋保胤が縁起文を記した。ついで長徳2年(996)8月、叡桓らは「首楞厳院安楽谷起請文」を定めた。織田信長の焼き討ちを免れる。
安楽律院流の興隆
元禄6年(1693)、公弁法親王が霊空光謙に与え、四分律を兼学する天台律の道場となる。霊空は師の妙立慈山を中興開山とした。元禄10年、幕府から100石を与えられる。 宝永3年(1706)、玄門智幽が跡を継ぎ、享保3年(1718)、伝法灌頂を始める。寛保3年(1743)、一年輪番制とした。
末寺として享保8年(1723)、江戸寛永寺には浄名律院、享保14年(1729)、日光満願寺には興雲律院が開かれた。 しかし、大乗戒を主張する守旧派と対立。敬光や円耳真流が批判。安楽騒動となる。宝暦2年(1752)、公啓法親王が輪王寺宮に就任すると、円耳真流が進言。宝暦8年(1758)、公啓法親王は兼学律廃止を命じた。安楽院には円耳真流が住した。しかし安永元年(1772)、公遵法親王が輪王寺宮に就任すると、安楽律復興が宣言され、円耳真流は追放された。
昭和24年、焼失。叡桓墓、藤原定家墓、妙立慈山墓、霊空光謙墓、玄門智幽墓がある。
(国史大事典、日本歴史地名大系)
組織
中興以降
- 1妙立慈山(1637-1690):天台律宗安楽律院流の開祖。美作出身。和田氏。最初、山城花山寺で禅を学ぶが、天台宗に転派。比叡山で修行するが、日本天台宗伝統の大乗戒を否定し、南山律を主張したため、異議として追放された。泉涌寺や西明寺でも律を学ぶ。のち輪王寺宮公弁法親王が安楽律院流として認め、延暦寺安楽律院の中興の祖とみなされた。唯忍子。
- 2霊空光謙(1652-1739):天台律宗安楽律院流の第二祖。筑前出身。岡村氏。慈山妙立に師事。安楽律院流を興隆し、安楽律院住職となった。江戸の寛永寺浄名律院や日光の輪王寺興雲律院も開いた。光舜。幻々庵。有門庵。
- 3玄門智幽(1666-1752):天台律宗安楽院派の第三祖。伊勢出身。茨木氏。慈山妙立、霊空光謙に学ぶ。50ほどの寺院を開いたという。