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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

安楽律院流

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年5月4日 (月)

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安楽律院流天台宗流派の一つで、律宗の流派の一つでもある。江戸時代の妙立慈山(1637-1690)を開祖とし、比叡山の安楽律院を拠点とする。近世に各宗派で起こった戒律復興運動に沿ったもの。宗祖最澄が否定した四分律を採用したため、大論争(安楽騒動、革律の変)を巻き起こした。また十二年籠山行を制度化した。安楽派安楽律派安楽律法流安楽一派四分兼学派などともいわれる。 天台律宗ともいう(天台律宗は天台宗真盛派の別称としても使われる)。

目次

歴史

成立期

妙立慈山時代から1758年(宝暦8年)まで。

  • 1672年(寛文12年)3月:妙立慈山が天台宗に帰し自誓受戒。
  • 1678年(延宝6年):妙立慈山が比叡山を離れる。
  • 1682年(天和2年):妙立慈山が聖護院近くに有門庵を開く。
  • 1689年(元禄2年):霊空光謙が玄旨帰命壇を邪義として批判。
  • 1690年(元禄3年)7月3日:妙立慈山死去。
  • 1693年(元禄6年):輪王寺宮公弁法親王が霊空光謙に安楽律院を与える。
  • 1696年(元禄9年):宗覚が妙立慈山を批判する書を作る。
  • 1697年(元禄10年):安楽律院に寺領100石寄進。
  • 1698年(元禄11年):霊空光謙、安楽律院の清規を定めた。
  • 1699年(元禄12年):霊空光謙の進言で公弁法親王が開山堂侍真条制を布告。十二年籠山行が制度化される。
  • 1704年(宝永1年):園城寺義瑞が霊空光謙を批判する書を書く。
  • 1706年(宝永3年):玄門智幽(1666-1752)が跡を継いだ。
  • 1707年(宝永4年):公弁法親王が安楽律を公認した延暦寺条制十箇を制定。
  • 1723年(享保8年):浄名律院創建。
  • 1729年(享保14年):興雲律院創建。
  • 1716年(享保1年):霊空光謙が安楽律院で灌頂を始まる。穴太流を伝える。
  • 1739年(元文4年):霊空光謙死去。
  • 1739年(元文4年)7月:公遵法親王、十二年籠山行を終えた僧は安楽律院で四分律を学ぶように命ず。反安楽律派の不満が高まる。
  • 1743年(寛保3年):玄門智幽が隠退し、安楽律院を一年交代の輪番制とする。
  • 1752年(宝暦2年):反安楽律派の公啓法親王が輪王寺宮に就任。
  • 1756年(宝暦6年)11月:籠山している僧侶らが疑問書を提出。安楽律院はこれに回答するように命じられる。
  • 1758年(宝暦8年)8月:公啓法親王は小乗戒兼学を禁止。安楽律院から追放される。

園城寺寓居時代

1758年(宝暦8年)から1773年(安永2年)まで。

  • 1758年(宝暦8年):延暦寺を退去した安楽律派は園城寺に逃れる。華光坊を拠点に各子院に寓居する。
  • 1758年(宝暦8年)9月14日:安楽律派、園城寺寓居中の規則を制定。
  • 1758年(宝暦8年):安楽律派は江戸で幕府へ公認の訴えを続ける(復本運動)。寛永寺に預ける。
  • 1758年(宝暦8年)頃:反安楽律派の円耳真流が安楽院住職となる。
  • 1763年(宝暦13年)9月:老中が寛永寺執当2人を召喚し、訴えが収まらなくないのは職務怠慢として解任。
  • 1767年(明和4年):寛永寺と延暦寺の僧侶を集めて安楽律禁止に調印させる。従わないものは追放とし、日光東叡比叡の三山に立ち入り禁止。訴願者は重追放となり関東近畿東海道木曽路への立入を禁止された。
  • 1769年(明和6年)9月10日:八箇条を制定。嵯峨・福田寺を本拠とする。
  • 1772年(安永1年)6月:公啓法親王死去。
  • 1772年(安永1年)9月:安楽律を支持する公遵法親王が輪王寺宮に再任。
  • 1772年(安永1年)12月:公遵法親王が安楽律の復帰を認めた。円耳真流が安楽院を去る。

復本以後

1773年(安永2年)から1868年(明治1年)まで。

  • 1773年(安永2年)5月:幕府、安楽律を公認する。

明治維新で打撃を受けたとみられる。

近代

一覧

江戸時代の組織構造は複雑で、安楽律院、浄名律院、興雲律院の三律院は輪王寺宮の外護を受けていた。安楽律院の直末の他、滋賀院末、寛永寺末、聖護院末、青蓮院末や又末寺もあった。 近代的な教団制度が整備されてからは天台宗延暦寺派の「安楽律院部」「安楽律法流」の名で通常の寺院とは別系統の管轄となっている。

主要寺院

その他

  • 世尊寺:滋賀県大津市坂本。現存。
  • 瑞光庵:滋賀県大津市坂本。現存。
  • 泰門庵:滋賀県大津市坂本。現存。現在は法流を離れた。
  • 普門寺:滋賀県大津市雄琴。現存。
  • 覚性庵:滋賀県大津市仰木。現存。
  • 正法寺:滋賀県大津市仰木。現存。
  • 最勝寺:滋賀県甲賀市水口町岩坂。現存。
  • 東福寺:滋賀県近江八幡市出町。現存。
  • 有門庵:京都府京都市左京区。聖護院の近くにあった。廃絶。
  • 幻々庵:京都。不詳。廃絶。
  • 金龍寺:大阪府高槻市成合。現存。
  • 来迎寺:摂津。廃絶か
  • 福聚院:兵庫県神戸市西区櫨谷町谷口。現存。
  • 西蓮寺:兵庫県加西市福居町。現存。
  • 林谷寺:兵庫県加西市下道山町。現存。
  • 寂光院:和歌山県和歌山市松江中。現存。
  • 十禅院:和歌山県紀の川市粉河。現存。粉河寺子院。慧澄痴空(1780-1862)が創建。
  • 一乗寺:三重県松阪市中万町。現存。玄門智幽の出身寺院。
  • 極楽寺:三重県津市久居元町。現存。
  • 法蔵寺:愛知県名古屋市中村区名駅南。現在は単立。
  • 摩尼寺:鳥取県鳥取市覚寺。現存。
  • 浄国寺:鳥取県鳥取市滝山。現存。
  • 全福寺:岐阜県揖斐郡池田町六之井。現存。
  • 報恩寺:福井県越前市府中。現存。
  • 安立院:東京都台東区谷中。谷中・天王寺子院。現在は曹洞宗単立。
  • 善明寺:東京都府中市本町。現存。
  • 観音院:茨城県筑西市森添島。現存。
  • 東円寺:栃木県真岡市下籠谷。現存。
  • 宗休寺:岐阜県関市西日吉町。現存。関善光寺。
  • 仏心寺:岡山県岡山市中区湊。池田家ゆかり。現存。現在は法流を離れた。
  • 円然院:岡山。廃絶か。玄門智幽が創建。
  • 宝林寺:滋賀県大津市坂本。現存。天台宗尼律庵の総本寺格。
  • 空心庵:滋賀県大津市坂本。宝林寺末の尼律庵。廃絶か。
  • 松林庵:高畑。宝林寺末の尼律庵。廃絶か。
  • 桂樹庵:藤ノ木。宝林寺末の尼律庵。廃絶か。
  • 戒光庵:藤ノ木。宝林寺末の尼律庵。廃絶か。
  • 観正庵:明良。宝林寺末の尼律庵。廃絶か。
  • 制心庵:滋賀県大津市坂本。宝林寺末の尼律庵。廃絶か。
  • 光明庵:岡山県岡山市。宝林寺末の尼律庵。廃絶か。
  • 慈門庵:滋賀県大津市仰木。宝林寺末の尼律庵。廃絶か。

資料

史料

  • 小此木輝之編著2001 『安楽律院資料集』1
  • 小此木輝之編著2003 『安楽律院資料集』2
  • 小此木輝之編著2006 『安楽律院資料集』3

文献

  • 硲慈弘1939「安楽派の興立と復古派の対抗」『天台宗読本宗史篇』[1]
  • 白畑よし・鈴鹿雅正1954「安楽律院厨子及び板絵について」『仏教芸術』22
  • 石田瑞麿1957「安楽律の紛争―上―」『日本仏教史』2
  • 石田瑞麿1957「安楽律の紛争―下―」『日本仏教史』3
  • 石田瑞麿1957「開会について―安楽律紛争を通じて」『印度学仏教学研究』52[2]
  • 尾上寛仲1957「安楽院に於ける宗典講学―元禄より享保まで―」『印度学仏教学研究』5巻1号[3]
  • 尾上寛仲1958「寺門寓居時代の安楽派律僧の動向」『印度学仏教学研究』6巻2号[4]
  • 尾上寛仲1958「復本後の安楽院に於ける天台教学」『印度学仏教学研究』7巻1号[5]
  • 尾上寛仲1968「安楽院の律僧養成制度」『印度学仏教学研究』16巻2号[6]
  • 小寺文頴1977「安楽律における戒体論争」『天台学報』19
  • 南谷敬1985「安楽律院蔵阿弥陀聖衆来迎図について」『フィロカリア』2
  • 曽根原理1991「安楽律をめぐる論争―宝暦8年安楽律廃止に致るまで」『東北大学付属図書館研究年報』24
  • 横内美穂2002「新刊紹介『安楽律院資料集第一』」『鴨台史学』3
  • 中川仁喜2005「史料紹介安楽律院所蔵の霊空光謙書状」『鴨台史学』5
  • 藤谷厚生2008「敬光律師の梵網律観について」『印度学仏教学研究』57巻1号[7]
  • 藤谷厚生2008「敬光顕道著『梵網律宗僧戒説』の基礎的研究」『四天王寺大学紀要』46
  • 三木治子2009「天台安楽律院・霊空とその石塔」『歴史考古学』61
  • 藤谷昌紀2009「妙立慈山『答作智信女』について」『大谷学報』[8]
  • 小此木輝之2011「安楽律院関係史料の調査研究」『大正大学研究紀要』96[9]
  • 伊吹敦2017「日本天台における「四宗相承」の成立」『印度学仏教学研究』66巻1号[10]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%89%E6%A5%BD%E5%BE%8B%E9%99%A2%E6%B5%81」より作成

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