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池田家の祭祀
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年8月16日 (日)
池田家。
目次 |
特徴
- 岡山池田家、鳥取池田家とも臨済宗による祖先祭祀を中心とした。
- 徳川家の婚姻関係により浄土宗や天台宗による祖先祭祀も導入した。
- 岡山藩主池田光政が儒教式の祖先祭祀を導入した。しかも他の大名家よりも徹底的して『家礼』に沿って行おうとしていた。
- しかし、池田光政が進めた儒教式の祖先祭祀は他藩と比べても領内に根付かず、一時的なものに終わった。
- 計画的な大型墓地が複数造営された。
- 江戸時代中期、過去の池田家家臣戦没者の祭祀を行った。
- 明治初年、岡山・鳥取の両家ともに神祭に改宗。岡山池田家では歴代に神号を贈ったようだ。
- 神祭改宗があったのにも関わらず、近代に新たな領主奉斎神社は建てられず、既存の神社への合祀などで済ませた。
- 池田家は楠木正成の子孫だとする家系図が江戸時代に作られたが、尊王思想の高まりの中でもあまり注目されなかった。
年譜
- 1632年(寛永9年):池田光政、岡山藩31万5000石に入封。
- 1645年(正保2年):将軍徳川家光の許可を得て岡山東照宮創建。
- 1650年(慶安3年):鳥取東照宮創建。同時に別当の因幡・大雲院も創建された。
- 1650年(慶安3年):池田光政、熊沢蕃山を番頭に登用。
- 1655年(明暦1年):池田光政、歴代の神主を作成し、祖先祭祀を儒式に改める。
- 1657年(明暦3年):熊沢蕃山隠居。
- 1659年(万治2年):池田光政、池田家御廟を造営。
- 1666年(寛文6年):池田光政、この年から大規模な社寺整理を実施。神社1万社を601社に減らし、563寺を廃した。8月、神道請を導入した。『葬祭の儀』を領民に頒布した。
- 1667年(寛文7年):池田光政、池田輝政の墓を妙心寺護国院から儒教式の和意谷墓地に改葬。熊沢蕃山の建言による。
- 1667年(寛文7年):熊沢蕃山、『葬祭弁論』を刊行。仏式葬儀を批判。
- 1672年(寛文12年):池田光政、隠居。池田継政が家督相続。
- 1674年(延宝2年):神道請と寺請を選択制とした。
- 1675年(延宝3年):閑谷学校設置。
- 1678年(延宝6年):備前・吉備津彦神社相殿に池田信輝と池田輝政を合祀。現在の卜方神社と思われる。
- 1682年(天和2年):池田光政死去。
- 1687年(貞享4年):神道請制度を廃止し、仏教による宗門改を復活。
- 1693年(元禄6年):清源寺を創建。
- 1698年(元禄11年):池田綱政が曹源寺を創建。
- 1704年(宝永1年):池田家正覚谷墓地を造営。
- 1714年(正徳4年):池田綱政死去。
- 1727年(享保12年):池田恒興に吉田家から「整修霊神」(整修霊社?)の神号を授与。
- 1757年(宝暦7年):池田継政が備前・仏心寺を再興。
- 1783年(天明3年):美濃龍徳寺に「烈忠霊同聚」の位牌を祀る。
- 1794年(寛政6年):養林寺が焼失。養林寺御霊屋が常念仏寺に遷座。
- 1869年(明治2年):9月、鳥取池田家が神葬祭に改宗。
- 1874年(明治7年):鳥取東照宮に池田忠継・池田忠雄・池田光仲を合祀。樗谿神社と改称。
- 1877年(明治10年):池田慶政正室の宇多子死去。「宇多媛命」の神号が授けられて神葬祭で葬儀が行われた。「宇多媛命御葬祭式諸図」[1]に葬送の様子が描かれている。
- 1878年(明治11年):樗谿神社に池田慶徳を合祀。
- 1885年(明治18年):岐阜龍徳寺の池田恒興・池田元助の墓所を整備。石垣と門を新築。
- 2011年(平成23年):樗谿神社が鳥取東照宮と改称した。
藩主格
美濃池田家
池田家の起源。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 神号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
池田政秀 | 生没年不詳 | 娘に養徳院。 | |||||
池田恒利 | ?-1538 | 養源院殿心光宗伝大居士 | 滝川貞勝の次男。正室は養徳院。1538年(天文7年)死去。 | 龍徳寺墓地、妙心寺盛岳院 | 菩提寺は臨済宗妙心寺護国院、妙心寺慈雲院、妙心寺盛岳院。 | ||
池田恒興 | 1536-1584 | 護国院殿雄岳宗英大居士 | 輝武命、整修霊神 | 池田恒利の子。生母養徳院が織田信長の乳母となったことから幼少より織田信長に仕えた。のち豊臣秀吉に仕える。1570年(元亀1年)尾張犬山城一万貫に封じる。1580年(天正8年)摂津10万石。1582年(天正10年)大垣城主13万石となる。1584年(天正12年)、長久手の戦いで徳川家康軍に敗れて戦死。49歳。別名は信輝。 | 龍徳寺墓地、妙心寺盛岳院、常照寺 | 菩提寺は臨済宗曹源寺(坐像を祀る)、曹洞宗勝入寺。霊社はト方神社・池田神社 | |
世嗣 | 池田元助 | ?-1584 | 正宗寺院殿顕功用節大禅定門 | 1584年(天正12年)、長久手の戦いで徳川家康軍に敗れて戦死。 | 龍徳寺墓地 |
岡山池田家
池田家本家。備前岡山藩31万5200石。大名家。1884年(明治17年)7月7日、華族となり、侯爵に列した。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 神号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田輝政 | 1564-1613 | 国清院殿泰叟玄高大居士 | 火星照彦輝政命、火星照命、日乃星照神 | 初代姫路藩主。池田恒興の次男。織田信長、豊臣秀吉に仕える。父を継ぎ、美濃大垣城主10万石。羽柴姓を与えられる。1590年(天正18年)三河吉田に移封、15万2000石を領した。継室に徳川家康の娘督姫を迎えた。1600年(慶長5年)、関ケ原合戦で徳川家康につく。同年、播磨国姫路藩主となり52万石。1612年(慶長17年)松平姓を与えられた。1613年(慶長18年)1月25日死去。50歳。従三位。参議。初名は照政。 | 妙心寺護国院→和意谷墓地。供養塔は姫路正法寺、姫路増位山、高野山奥之院墓地。 | 菩提所は臨済宗国清寺、黄檗宗興禅寺。霊社はト方神社・閑谷神社・鏡石神社。 |
2 | 池田利隆 | 1584-1616 | 興国院殿俊岳宗傑大居士 | 大羽広建利隆命 | 2代姫路藩主。池田輝政の長男。弟忠継の岡山藩主の代行を行う。1613年(慶長18年)播磨42万石を継ぐ。1616年(元和2年)6月13日死去。33歳。 | 和意谷墓地、妙心寺護国院、国清寺墓地 | 菩提所は臨済宗国清寺。霊社は閑谷神社。 |
3 | 池田光政 | 1609-1682 | 通源院殿天質義晃大居士 | 鎮国武安光政命、武安霊命 | 初代岡山藩主。3代姫路藩主。池田利隆の長男。1616年(元和2年)姫路藩主42万石を継ぐ。1617年(元和3年)鳥取藩主32万石。1632年(寛永9年)岡山藩主31万5000石。熊沢蕃山を登用。仏教を排し、儒教を興した。閑谷学校を創設。和意谷墓地を造営。1672年(寛文12年)隠退。1682年(天和2年)5月22日死去。74歳。初名は幸隆。諡号は芳烈公。 | 和意谷墓地、椿山 | 菩提寺は天台宗仏心寺。霊社は閑谷神社・岡山神社。 |
4 | 池田綱政 | 1638-1714 | 曹源寺殿湛然徳峰大居士 | 五十帯別綱政命 | 2代岡山藩主。池田光政の長男。1672年(寛文12年)家督相続。弟池田政言と池田輝録に新田4万石を分けて2支藩をたてた。1714年(正徳4年)10月29日死去。77歳。 | 正覚谷墓地、高野山奥之院墓地、妙心寺紫雲院 | 菩提寺は臨済宗曹源寺・天台宗仏心寺。 |
世嗣 | 池田吉政 | 1678-1695 | 池田綱政の長男。初名は政孝。 | ||||
世嗣 | 池田政順 | 1696-1709 | 池田綱政の三男。 | ||||
5 | 池田継政 | 1702-1776 | 保国院殿鉄叟空山大居士 | 弥心厚石継政命 | 3代岡山藩主。池田綱政の四男。1714年(正徳4年)家督相続。1752年(宝暦2年)隠退。1776年(安永5年)2月8日死去。75歳。初名は保教。 | 正覚谷墓地 | 菩提寺は臨済宗曹源寺。 |
6 | 池田宗政 | 1727-1764 | 寿国院殿豊山延祥大居士 | 明立〓日宗政命 | 4代岡山藩主。池田継政の長男。1752年(宝暦2年)家督相続。1764年(明和1年)3月14日死去。38歳。初名は尚政。 | 正覚谷墓地 | 菩提寺は臨済宗曹源寺。 |
7 | 池田治政 | 1750-1818 | 顕国院殿大徹一心大居士 | 細矛建治政命 | 5代岡山藩主。池田宗政の長男。1764年(明和1年)家督相続。閑谷学校を再興。1794年(寛政6年)隠退。1818年(文政1年)12月19日死去。69歳。初名は敏政。 | 弘福寺→正覚谷墓地 | 菩提寺は臨済宗曹源寺。 |
8 | 池田斉政 | 1773-1833 | 観国院殿西岳宗周大居士 | 大伯弘道斉政命 | 6代岡山藩主。池田治政の長男。1794年(寛政6年)家督相続。1819年(文政2年)隠退。1833年(天保4年)6月26日死去。61歳。初名は政久。 | 正覚谷墓地 | 菩提寺は臨済宗曹源寺。 |
世嗣 | 池田斉輝 | 1797-1819 | 龍泰院殿幹山文鼎大居士 | 正覚谷墓地 | 菩提寺は臨済宗曹源寺。 | ||
世嗣 | 池田本之丞 | ?-1820 | |||||
世嗣 | 池田斉成 | 1809-1826 | |||||
9 | 池田斉敏 | 1811-1842 | 雄国院殿威山常光大居士 | 早出霊斉敏命 | 7代岡山藩主。島津斉興の次男。池田斉政の養子。1819年(文政2年)家督相続。1842年(天保13年)1月30日死去。32歳。初名は久寧。 | 正覚谷墓地 | 菩提寺は臨済宗曹源寺。 |
10 | 池田慶政 | 1823-1893 | 大名広足慶政命 | 8代岡山藩主。中津藩主奥平昌高の十男。池田斉敏の養子。1842年(天保13年)家督相続。1863年(文久3年)隠退。1893年(明治26年)3月4日死去。71歳。初名は昌朝、道政。 | 和意谷墓地 | ||
11 | 池田茂政 | 1839-1899 | 五十武彦茂政命 | 9代岡山藩主。水戸藩主徳川斉昭の九男。徳川慶喜の弟。池田慶政の養子。1863年(文久3年)家督相続。尊王攘夷を立場を取り、長州征伐には反対。1868年(明治1年)引退。1899年(明治32年)12月12日死去。61歳。 | 和意谷墓地 | ||
12 | 池田章政 | 1836-1903 | 真心重暉章政命 | 10代岡山藩主(最後の藩主)。侯爵。人吉藩主相良頼之の次男。池田政善の養子。1847年(弘化4年)鴨方藩主池田家9代。1868年(明治1年)家督相続。1903年(明治36年)6月5日死去。68歳。初名は政詮。 | 正覚谷墓地 | ||
13 | 池田詮政 | 1965-1909 | 侯爵。 | 正覚谷墓地 | |||
14 | 池田禎政 | 1895-1920 | 侯爵。池田詮政の子。スペイン風邪で死去。 | 正覚谷墓地 | |||
15 | 池田宣政 | 1904-1988 | 侯爵。池田禎政の弟。池田詮政の子。初名は政鈞。 | 正覚谷墓地 | |||
16 | 池田隆政 | 1926-2012 | 池田宣政の子。明仁上皇の義兄。妻は池田厚子(神宮祭主、神社本庁総裁)。嗣子なく断絶の見込み。 | 正覚谷墓地 |
鳥取池田家
徳川家の親戚。因幡鳥取藩32万石。大名家。1884年(明治17年)7月7日、華族となり、侯爵に列した。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田忠継 | 1599-1615 | 龍峰寺殿雲台元祥大居士 | 初代岡山藩主。姫路藩主池田輝政の次男。徳川家康の外孫。母は徳川家康の娘督姫。1603年(慶長8年)5歳で備前28万石を与えられ、岡山藩主。1613年(慶長18年)播磨国の宍粟・佐用・赤穂の10万石を与えられ、38万石。1615年(元和1年)2月23日死去。17歳。 | 清泰院墓地 | 菩提寺・位牌所は臨済宗清泰院、池田忠継廟。霊社は鳥取東照宮。 |
2 | 池田忠雄 | 1602-1632 | 清泰院殿仁秀良勇大居士 | 2代岡山藩主。池田忠継の弟。池田輝政の三男。徳川家康の外孫。母は徳川家康の娘督姫。1610年(慶長15年)淡路洲本藩主6万3000石。1615年(元和1年)兄の跡を継ぎ、岡山藩主。38万石のうち28万石を家督相続。1632年(寛永9年)4月3日死去。31歳。 | 清泰院墓地 | 菩提寺・位牌所は臨済宗清泰院。霊社は鳥取東照宮・清泰祠。 |
3 | 池田光仲 | 1630-1693 | 興禅院殿俊翁義剛大居士 | 池田忠雄の長男。1632年(寛永9年)3歳で相続するが、池田光政と国替えし、鳥取藩主32万石となる。1693年(元禄6年)7月7日死去。64歳。 | 奥谷墓地 | 菩提寺・位牌所は黄檗宗興禅寺。霊社は鳥取東照宮。 |
4 | 池田綱清 | 1647-1711 | 清源寺殿良宗常温大居士 | 池田光仲の長男。1685年(貞享2年)家督相続。弟池田仲澄に2万5000石を分与。1711年(正徳1年)7月4日死去。65歳。 | 奥谷墓地 | 興禅寺?清源寺? |
5 | 池田吉泰 | 1687-1739 | 天祥院殿機運衍応大居士 | 池田綱清の甥。東館藩主池田仲澄の長男。1700年(元禄13年)家督相続。叔父池田清定に1万5000石を分与。1739年(元文4年)7月23日死去。53歳。初名は吉明。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
6 | 池田宗泰 | 1717-1747 | 大広院殿義山衍隆大居士 | 池田吉泰の長男。1739年(元文4年)家督相続。1747年(延享4年)8月21日死去。31歳。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
7 | 池田重寛 | 1746-1783 | 岱岳院殿祥雲洪沢大居士 | 池田宗泰の子。1747年(延享4年)家督相続。1756年(宝暦6年)藩校尚徳館設置。1783年(天明3年)10月12日死去。38歳。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
世嗣 | 池田治恕 | 1765-1781 | 孝得院殿本然自性大居士 | 池田重寛の長男。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
8 | 池田治道 | 1768-1798 | 大機院殿賢翁紹雄大居士 | 池田重寛の三男。1783年(天明3年)家督相続。1798年(寛政10年)5月6日死去。31歳。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
9 | 池田斉邦 | 1787-1807 | 真証院殿徳応義栄大居士 | 池田治道の長男。1798年(寛政10年)家督相続。儒者箕浦靖山、儒者箕浦節山、国学者衣川長秋(本居春庭の弟子)、洋学者稲村三伯(大槻玄沢の弟子)、画家土方稲嶺らを登用。1807年(文化4年)7月9日死去。21歳。初名は昭邦。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
10 | 池田斉稷 | 1788-1830 | 耀国院殿峻徳光隆大居士 | 池田斉邦の弟。池田治道の次男。1807年(文化4年)家督相続。1830年(天保1年)5月2日死去。43歳。 | 江戸弘福寺墓地→奥谷墓地 | 興禅寺? |
世嗣 | 池田斉衆 | 1812-1826 | 英俊院殿雄山全機大居士 | 将軍徳川家斉の十二男。 | 弘福寺墓地→奥谷墓地 | 興禅寺? |
11 | 池田斉訓 | 1820-1841 | 瑞徳院殿智覚良温大居士 | 池田斉稷の次男。1830年(天保1年)家督相続。1841年(天保12年)5月16日死去。22歳。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
12 | 池田慶行 | 1832-1848 | 正国院殿純徳玄明大居士 | 東館藩主池田仲律の長男。池田斉訓の養子。1841年(天保12年)家督相続。1848年(嘉永1年)6月13日死去。17歳。初名は茂高。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
13 | 池田慶栄 | 1834-1850 | 栄岳院殿穆雲光沢大居士 | 前田家出身。金沢藩主前田斉泰の次男。池田慶行の養子。1848年(嘉永1年)家督相続。1850年(嘉永3年)5月23日死去。17歳。 | 奥谷墓地 | 興禅寺? |
14 | 池田慶徳 | 1837-1877 | 最後の藩主。徳川家出身。水戸藩主徳川斉昭の五男。徳川慶喜の異母兄。1850年(嘉永3年)家督相続。藩政改革を推進。1877年(明治10年)8月2日死去。41歳。初名は昭徳。 | 弘福寺墓地→多磨霊園→大雲院墓地 | 霊社は鳥取東照宮。 | |
15 | 池田輝知 | 1860-1890 | 侯爵。 | 弘福寺墓地→多磨霊園→大雲院墓地 | ||
16 | 池田仲博 | 1977-1948 | 侯爵。 | 多磨霊園→大雲院墓地 | ||
17 | 池田徳真 | 1904-1993 | 侯爵。プロテスタントに改宗。 | |||
18 | 池田百合子 | 1933- | 自分の代で絶家を宣言。 |
備中松山池田家
備中松山藩主。江戸時代前期に絶家。菩提寺は高梁の曹洞宗威徳寺・曹洞宗定林寺と江戸臨済宗東禅寺。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田長吉 | 1570-1614 | 隣松院殿茂林宗綱大居士 | 鳥取藩主。池田恒興の三男。1600年(慶長5年)鳥取藩主6万石。1614年(慶長19年)9月24日死去。45歳。 | 臨済宗東禅寺 | |
2 | 池田長幸 | 1587-1632 | 承国院殿蔭凉崇樹大居士 | 初代備中松山藩主。池田長吉の長男。1614年(慶長19年)家督相続。1617年(元和3年)備中松山藩主6万5000石。1632年(寛永9年)4月7日死去。46歳。 | 曹源寺威徳寺と臨済宗東禅寺 | |
3 | 池田長常 | 1609-1641 | 曹渓院殿久安禅昌大居士 | 2代備中松山藩主。池田長幸の長男。1632年(寛永9年)家督相続。1641年(寛永18年)9月6日死去。33歳。嗣子なく断絶。 | 曹源寺威徳寺と臨済宗東禅寺 |
鴨方池田家
岡山池田家の分家。備中鴨方藩2万5000石。大名家。1884年(明治17年)7月8日、華族となり、子爵に列した。菩提寺は臨済宗国清寺か。藩務は実質的に岡山藩が担っていた。幕末に藩庁の鴨方陣屋(岡山県浅口市鴨方町)があった。陣屋跡に黒住教鴨方大教会所がある。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
池田利政 | 1594-1639 | 法清院殿月桂浄秋大居士 | 池田家本家の重臣。 | 和意谷墓地 | ||
池田政信 | 1630-1649 | 智光院功源素全大居士 | 岡山藩家老。 | |||
1 | 池田政言 | 1645-1700 | 天珪院殿性月自光大居士 | 鴨方藩主。岡山藩主池田光政の次男。1672年(寛文12年)、新田2万5000石を分与される。1700年(元禄13年)8月19日死去。56歳。 | 東禅寺 | |
2 | 池田政倚 | 1669-1747 | 禅通院殿蘭渓良秀大居士 | 鴨方藩主。池田政言の長男。1700年(元禄13年)家督相続。1747年(延享4年)7月4日死去。79歳。初名は政熙。 | 国清寺 | |
世嗣 | 池田輝言 | 生没年不詳 | 池田軌隆の次男。1716年(享保1年)池田政倚の養子となるが、1725年(享保10年)離縁。 | |||
世嗣 | 池田軌明 | 生没年不詳 | 池田軌隆の三男。輝言の弟。1725年(享保10年)に池田政倚の養子となるが、1737年(元文2年)離縁。 | |||
3 | 池田政方 | 1713-1791 | 大興院殿長閑徳翁大居士 | 鴨方藩主。新宮家の池田由道の次男。池田政倚の養子。1738年(元文3年)家督相続。1791年(寛政3年)12月19日死去。79歳。 | 東禅寺 | |
4 | 池田政香 | 1741-1768 | 円海院殿玄如禅哲大居士 | 鴨方藩主。池田政方の長男。1760年(宝暦10年)家督相続。1768年(明和5年)8月25日死去。28歳。 | 国清寺 | |
5 | 池田政直 | 1746-1818 | 天寥院殿 | 鴨方藩主。池田政香の弟。池田政方の次男。1768年(明和5年)家督相続。1818年(文政1年)8月16日死去。73歳。 | 不詳 | |
6 | 池田政養 | 1772-1819 | 養賢院殿 | 鴨方藩主。池田政直の長男。1800年(寛政12年)家督相続。1819年(文政2年)7月3日死去。48歳。 | ||
7 | 池田政共 | 1806-1824 | 鴨方藩主。池田政養の長男。1819年(文政2年)家督相続。1824年(文政7年)6月28日死去。19歳。 | 国清寺 | ||
8 | 池田政広 | 1811-1839 | 鴨方藩主。池田政養の子。1824年(文政7年)家督相続したが、病弱のため、弟にひそかに交代した。 | |||
9 | 池田政善 | 1810-1847 | 鴨方藩主。池田政養の子。1824年(文政7年)家督相続したことになっているが、兄の池田政広と密かに交代した。1847年(弘化4年)4月27日死去。38歳。 | |||
10 | 池田政詮(池田章政) | 1836-1903 | 珠国院殿琢堂勲記大居士 | 鴨方藩主。のち岡山藩主。公爵。 | 正覚谷墓地 | |
11 | 池田政保 | 1864-1939 | 高雲院 | 鴨方藩主。池田章政の長男。1868年(明治1年)家督相続。子爵。1939年(昭和14年)2月10日死去。76歳。 | 谷中霊園 | |
12 | 池田政鋹 | 1899-1945 | 青嶂院殿任風政鎮大居士 | 子爵。 | 谷中霊園 | |
13 | 池田政忠 |
生坂池田家
岡山池田家の分家。備中生坂藩1万5000石。大名家。1884年(明治17年)7月8日、華族となり、子爵に列した。菩提寺は江戸臨済宗東禅寺か。藩務は実質的に岡山藩が担っていた。明治に藩庁が真言宗東雲院に置かれた。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
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1 | 池田輝録 | 1649-1713 | 霊樹院殿古巌全崇大居士 | 初代生坂藩主。岡山藩主池田光政の三男。熊沢蕃山の養子となり熊沢政倫と名乗る。1672年(寛文12年)、1万5000石を分与され生坂藩主となる。奏者番。1713年(正徳3年)11月26日死去。65歳。 | 東禅寺 | |
世嗣 | 池田輝廉 | 1687-1706 | 通仙院浄円自的大居士 | 池田輝録の子。 | 東禅寺? | |
2 | 池田政晴 | 1704-1748 | 隆興院殿雲嶽宗観大居士 | 池田軌隆(岡山藩主池田綱政の次男)の長男。池田輝録の養子となり、1714年(正徳4年)家督相続。1748年(寛延1年)9月11日死去。45歳。 | 東禅寺? | |
3 | 池田政員 | 1737-1767 | 承徳院殿佑邦宗賢大居士 | 池田政晴の長男。1748年(寛延1年)家督相続。1767年(明和4年)1月29日死去。31歳。 | 東禅寺? | |
4 | 池田政弼 | 1742-1776 | 持光院殿観海帷聞大居士 | 池田政員の弟。池田政晴の三男。兄の跡をつぎ、1767年(明和4年)家督相続。1776年(安永5年)7月29日死去。35歳。 | 東禅寺 | |
世嗣 | 池田政良 | 1759-1774 | 池田政弼の長男。1774年(安永3年)死去。16歳。 | |||
5 | 池田政房 | 政恭? | 東禅寺 | |||
6 | 池田政恭 | 1775-1827 | 大機院殿心源宗徹大居士 | 池田政弼の四男。1776年(安永5年)家督相続。1827年(文政10年)7月30日死去。53歳。 | 国清寺 | |
7 | 池田政範 | 1796-1844 | 大円院殿 | 池田政恭の長男。1822年(文政5年)家督相続。1844年(弘化1年)3月27日死去。49歳。 | 国清寺 | |
8 | 池田政和 | 1821-1858 | 福本家池田喜長の子。池田政範の養子となり、1839年(天保10年)家督相続。1858年(安政5年)2月4日死去。38歳。 | |||
9 | 池田政礼 | 1849-1907 | 池田政和の次男。1855年(安政2年)家督相続。1884年(明治17年)子爵。1907年(明治40年)10月8日死去。59歳。 | |||
10 | 池田政時 | 東禅寺 | ||||
11 | 池田政英 |
山崎池田家
岡山池田家の分家。山崎藩主3万石。江戸時代前期に絶家。菩提寺は臨済宗興国寺。藩庁は播磨山崎城(兵庫県宍粟市山崎町)。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 神号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
池田恒元 | 1611-1671 | 盛徳院殿鉄岩玄心大居士 | 宍粟識恒元命 | 初代山崎藩主。最初は備前児島藩主。岡山藩主池田利隆の次男。1648年(慶安1年)2万5000石を分与され児島藩主となる。1649年(慶安2年)、児島領は岡山藩に返還。お家騒動で領地を没収された池田輝澄の旧領を受け継ぎ山崎藩主3万石となる。1671年(寛文11年)9月4日死去。61歳。 | 和意谷墓地 | 臨済宗興国寺? | |
池田政周 | 1656-1677 | 智光院殿義峰崇俊大居士 | 豊日舅主政元命 | 2代山崎藩主。池田恒元の子。1671年(寛文11年)家督相続。1677年(延宝5年)1月8日死去。22歳。初名は政元。 | 和意谷墓地 | 臨済宗興国寺? | |
池田恒行 | 1672-1678 | 幻覚妙〓 | 3代山崎藩主。岡山藩主池田綱政の六男。池田政周の養子となり、1677年(延宝5年)家督相続。1678年(延宝6年)12月27日死去。7歳。嗣子なく絶家。(〓はサンズイに區) | 東禅寺 | 臨済宗興国寺? |
岡山池田家分家
明治に起こされた岡山池田家の分家。大名分家。1884年(明治17年)7月8日、華族となり、男爵に列した。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
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1 | 池田勝吉 | 1874-1941 | 目黒墓地 | |||
2 | 池田正広 | |||||
3 | 池田広次 |
鹿野池田家
鳥取池田家の分家。因幡鹿野藩3万石。大名家。1884年(明治17年)7月8日、華族となり、子爵に列した。江戸藩邸が三田にあった。藩庁は明治に鹿野陣屋(鳥取県鳥取市鹿野町鹿野)に置かれた。菩提寺の一つに鳥取日蓮宗吉祥寺がある。鹿野池田家、鹿奴池田家、東館池田家、三田家などとも呼ばれる。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
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1 | 池田仲澄 | 1650-1722 | 成徳院健岩道享大居士 | 池田光仲の次男。1685年(貞享2年)、分知されて鳥取新田藩(東館)2万5000石に封じられた。1702年(元禄15年)5000石加増。1722年(享保7年)6月2日死去。73歳。初名は仲時。 | 奥谷墓地 | |
2 | 池田仲央 | 1692-1753 | 笈敦院活空徹玄大居士 | 池田仲澄の次男。1703年(元禄16年)家督相続。1753年(宝暦3年)1月11日死去。62歳。初名は澄猶。 | 奥谷墓地 | |
3 | 池田仲庸 | 1721-1758 | 清障院雲外弘庸大居士 | 池田仲央の長男。1753年(宝暦3年)家督相続。1758年(宝暦8年)6月12日死去。38歳。初名は澄〓。 | 奥谷墓地 | |
4 | 池田澄延 | 1750-1769 | 賢徳院英山桁雄大居士 | 池田仲庸の長男。1758年(宝暦8年)家督相続。1769年(明和6年)9月3日死去。20歳。 | 弘福寺→奥谷墓地 | |
5 | 池田延俊 | 1754-1771 | 仁厚院礼容玄智大居士 | 池田澄延の弟。池田仲庸の次男。兄の跡を継ぎ、1769年(明和6年)家督相続。1771年(明和8年)3月7日死去。18歳。 | 奥谷墓地 | |
6 | 池田澄時 | 1769-1785 | 真常院殿本覚浄光大居士 | 鳥取藩主池田重寛の四男。池田延俊の養子となり、1771年(明和8年)家督相続。1785年(天明5年)7月21日死去。17歳。 | 弘福寺→奥谷墓地 | |
7 | 池田仲雅 | 1780-1841 | 賢量院接翁義峻大居士 | 池田澄時の弟。鳥取藩主池田重寛の六男。兄の跡を継ぎ、1785年(天明5年)家督相続。1841年(天保12年)6月24日死去。62歳。初名は澄教。 | 奥谷墓地 | |
8 | 池田仲律 | 1805-1850 | 舜徳院殿浄質穆興大居士 | 池田仲雅の三男。1824年(文政7年)家督相続。1850年(嘉永3年)3月11日死去。46歳。 | 奥谷墓地 | |
9 | 池田仲建 | 1841-1864 | 良徳院仁山義桁大居士 | 池田仲律の三男。1850年(嘉永3年)家督相続。1864年(元治1年)6月27日死去。24歳。名は仲立とも。 | 奥谷墓地 | |
10 | 池田徳澄 | 1854-1876 | 義天院殿真徳良澄大居士 | 池田仲建のいとこ。池田仲律の弟池田仲諟の三男。いとこの跡をついで1865年(慶応1年)家督相続。1868年(明治1年)鹿野藩と改称。1869年(明治2年)鳥取藩に併合・廃藩のため退任。1876年(明治9年)12月13日死去。23歳。 | 大雲院 | |
11 | 池田源 | 1846-1903 | 池田農場を開設。 | |||
12 | 池田仲誠 | 1882-1972 | ||||
13 | 池田仲親 | 1914-2007 | 大雲院 |
若桜池田家
鳥取池田家の分家。因幡若桜藩1万5000石。大名家。1884年(明治17年)7月8日、華族となり、子爵に列した。江戸藩邸が鉄砲洲にあった。藩庁は明治に若桜陣屋(鳥取県八頭郡若桜町)に置かれた。菩提寺として曹洞宗普含寺がある。若桜池田家、西館池田家、鉄砲洲家とも呼ばれる。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
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1 | 池田清定 | 1683-1718 | 桂厳院心月浄空大居士 | 鳥取藩主池田光仲の五男。1700年(元禄13年)鳥取新田藩(西館藩)藩主1万5000石を分知される。1718年(享保3年)9月9日死去。36歳。 | 弘福寺→奥谷墓地 | |
2 | 池田定賢 | 1700-1736 | 了義院自得浄証大居士 | 東館藩主池田仲澄の四男。池田清定の養子となり、1718年(享保3年)家督相続。1720年(享保5年)5000石加増。1736年(元文1年)9月7日死去。37歳。 | 弘福寺→奥谷墓地 | |
3 | 池田定就 | 1724-1790 | 広運院丈英浄芳大居士 | 池田定賢の長男。1736年(元文1年)家督相続。1790年(寛政2年)2月5日死去。67歳。 | 奥谷墓地 | |
4 | 池田定得 | 1754-1773 | 瑞泰院殿善倫為宝大居士 | 池田定就の長男。1768年(明和5年)家督相続。1773年(安永2年)7月9日死去。20歳。 | 奥谷墓地 | |
5 | 池田定常 | 1767-1833 | 停雲院冠山大居士 | 吉富家池田政勝の次男。池田定得の養子となり1773年(安永2年)家督相続。1833年(天保4年)7月9日死去。67歳。 | 奥谷墓地・弘福寺 | |
6 | 池田定興 | 1791-1807 | 良智院殿慈眼円明大居士 | 池田定常の長男。1801年(享和1年)家督相続。1807年(文化4年)11月3日死去。17歳。 | 奥谷墓地 | |
7 | 池田定保 | 1805-1847 | 譲徳院義山全智大居士 | 池田定興の弟。池田定常の六男。1808年(文化5年)兄の跡を継ぐ。二条城大番頭、大坂定番。1847年(弘化4年)7月17日死去。43歳。 | 弘福寺 | |
8 | 池田清直 | 1812-1858 | 円徳院仁山道義大居士 | 東館藩主池田仲雅の八男。池田定保の養子となり、1847年(弘化4年)家督相続。1858年(安政5年)8月6日死去。47歳。 | 奥谷墓地 | |
9 | 池田清緝 | 1843-1862 | 覚性院緝山元勇大居士 | 池田仲諟(東館藩主池田仲律の弟)の長男。叔父池田清直の養子となり1858年(安政5年)家督相続。1862年(文久2年)8月24日死去。20歳。 | 奥谷墓地 | |
10 | 池田徳定 | 1848-1910 | 恭徳院殿定応義道大居士 | 池田清緝の弟。池田仲諟の次男。兄池田清緝の跡を継ぎ、1862年(文久2年)家督相続。1868年(明治1年)若桜藩と称す。1870年(明治3年)鳥取藩に合併し、藩主隠退。子爵。1910年(明治43年)6月21日死去。63歳。初名は徳風。 | 弘福寺 | |
11 | 池田清就 | 1898-1966 | ||||
12 | 池田隆 | 1936-1978 |
福本池田家
鳥取池田家の分家。播磨福本藩1万573石。大名家(ただし旗本7000石の時代も長かった)。1884年(明治17年)7月8日、華族となり、男爵に列した。藩庁は福本陣屋(兵庫県神崎郡神河町福本)にあった。菩提寺は日蓮宗徹心寺。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
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1 | 池田輝澄 | 1604-1662 | 大雲院殿一関徹心大居士 | 播磨山崎藩主。因幡鹿野藩主。姫路藩主池田輝政の四男。母は徳川家康の娘督姫(良正院)。1615年(元和1年)、播磨国宍粟郡3万8000石を分知され、山崎藩主となる。ついで佐用領2万5000石も家督相続。1640年(寛永17年)お家騒動で領地没収。鹿野藩1万石に転封。1662年(寛文2年)4月18日死去。59歳。 | 徹心寺、大山寺阿弥陀堂 | |
2 | 池田政直 | 1663-1665 | 性浄院源覚日心 | 初代福本藩主。池田輝澄の子。1663年(寛文3年)家督相続。1665年(寛文5年)12月6日死去。32歳。 | 本妙寺、徹心寺 | |
3 | 池田政武 | 1649-1687 | 日諱 | 2代福本藩主。交代寄合。池田政直の弟。池田輝澄の子。1666年(寛文6年)家督相続。弟池田政済に3000石を分与し7000石の交代寄合となる。1687年(貞享4年)5月7日死去。39歳。 | 本妙寺、徹心寺 | |
4 | 池田政森 | 1682-1719 | 日能 | 交代寄合。1719年(享保4年)死去。38歳。 | 本妙寺、徹心寺 | |
5 | 池田喜以 | 1712-1786 | 日茲 | 交代寄合。1786年(天明6年)死去。75歳。 | 池上本門寺、徹心寺 | |
世嗣 | 池田政韶 | 1734-1758 | 1758年(宝暦8年)死去。25歳。 | |||
世嗣 | 池田庸熈 | 1743-1764 | 1764年(明和1年)死去。22歳。 | |||
6 | 池田喜生 | 1745-? | 交代寄合 | 徹心寺 | ||
世嗣 | 池田輝名 | 1773-? | ||||
7 | 池田喜長 | 交代寄合 | 徹心寺 | |||
8 | 池田喜通 | 1828-1868 | 交代寄合。福本藩主。池田喜長の子。天保7年6000石の家督を継ぐ。1868年(明治1年)1万1573石となり、大名に格上げとなる。1868年(明治1年)7月28日死去。41歳。 | 徹心寺 | ||
9 | 池田徳潤 | 1847-1929 | 福本藩主。池田喜通の子。1868年(明治1年)家督相続。1870年(明治3年)、福本藩が鳥取藩に併合され、藩主を退任。男爵。1929年(昭和4年)5月13日死去。83歳。初名は嘉延。 | 徹心寺 |
赤穂池田家
赤穂藩主3万5000石。のち旗本。江戸時代前期に断絶。菩提寺は岡山の臨済宗少林寺。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 神号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田政綱 | 1605-1631 | 雲龍院殿涼軸蔭公大居士 | 赤穂藩主。姫路藩主池田輝政の五男。母は徳川家康の娘督姫。1615年(元和1年)3万5000石を分与され、赤穂藩主となる。1631年(寛永8年)7月29日死去。27歳。嗣子なく絶家。 | 少林寺 | ||
2 | 池田輝興 | 1611-1647 | 少林寺殿松巌英秀大居士 | 佐用津建輝興命 | 佐用藩主。赤穂藩主。姫路藩主池田輝政の六男。母は徳川家康の娘督姫。1615年(元和1年)2万5000石を分与され、佐用藩主となる。1631年(寛永8年)、兄の死去で赤穂藩主3万5000石に転じた。1645年(正保2年)乱心して妻を殺害。領地没収。1647年(正保4年)5月17日死去。37歳。 | 少林寺→和意谷墓地 | |
3 | 池田政種 | 1637-1683 | 玄路 | 旗本。 | 東禅寺 | ||
4 | 池田政弘 | 1659-1696 | 浄空 | 旗本。 | 東禅寺? | ||
5 | 池田清勝 | 1686-1696 | 智英 | 旗本。断絶。 | 東禅寺? |
新宮池田家
元は本願寺坊官を世襲した下間家。播磨鵤藩主。播磨新宮藩主1万石で、のち旗本になる。菩提寺は播磨臨済宗梅岳寺、江戸臨済宗海禅寺。藩庁は新宮陣屋(兵庫県たつの市新宮町新宮)。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
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1 | 池田重利 | 1586-1631 | 慈照院殿義山宗徳大居士 | 初代新宮藩主。下間頼龍の子。元は本願寺の坊官。本願寺教如を補佐するが、1609年(慶長14年)対立して本願寺を出奔。叔父の姫路藩主池田輝政に仕え、池田重利と改名。1615年(元和1年)大坂の陣の軍功で尼崎藩1万石の藩主となる。1617年(元和3年)播磨新宮藩主。1631年(寛永8年)11月10日死去。46歳。初名は下間頼広。 | 海禅寺、斑鳩寺 | |
2 | 池田重政 | 1603-1651 | 本住院殿涼岩周清大居士 | 2代新宮藩主。池田重利の子。1631年(寛永8年)家督相続。1651年(慶安4年)6月20日死去。49歳。 | 斑鳩寺 | |
3 | 池田薫彰 | 1633-1663 | 梅岳院殿覚源英徹大居士 | 3代新宮藩主。池田重政の子。1652年(承応1年)家督相続。1663年(寛文3年)1月30日死去。31歳。 | 梅岳寺 | |
4 | 池田邦照 | 1658-1670 | 春叢院仁沢元厚大居士 | 4代新宮藩主。池田薫彰の子。1663年(寛文3年)家督相続。1670年(寛文10年)1月28日13歳で病死。領地削減され大名でなくなる。 | ||
5 | 池田重教 | 1660-1690 | 宗松 | 寄合 | ||
6 | 池田由道 | 1681-1743 | 素慶 | 寄合 | 臨済宗正燈寺 | |
7 | 池田頼教 | 1706-1742 | 玄功 | 海禅寺 | ||
8 | 池田頼致 | 1718-1789 | 道寿 | |||
9 | 池田直好 | 1740- | ||||
10 | 池田頼完 | 1758- | 実の兄に蠣崎波響がいる。 | |||
11 | 池田頼功 | 1771- | ||||
12 | 池田頼方 | 1801-1876 | 普聞院殿円応万籟居士 | 江戸南町奉行。勘定奉行。 | 海禅寺 | |
13 | 池田頼誠 | 梅岳寺 | ||||
14 | 池田明知 |
家老
天城池田家
岡山藩池田家家老を世襲した武家。1891年(明治24年)12月28日、華族となり、男爵に列した。武家・勲功華族。菩提寺は倉敷海禅寺か。墓地は楫山墓地。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田由之 | 1577-1618 | 海禅寺殿霊岳永祥大居士 | 池田元助の子。 | 楫山墓地、清洞寺跡。供養塔が米子総泉寺にある。 | 菩提寺は黄檗宗了春寺。 |
2 | 池田由成 | 1605-1676 | 心宗院殿一率幻入大居士 | 楫山墓地 | 菩提寺は黄檗宗了春寺・倉敷海禅寺 | |
世嗣 | 池田由貞 | 1634-1600 | ||||
3 | 池田由孝 | 1641-1696 | 天義院殿源元了入大居士 | 楫山墓地 | ||
4 | 池田由勝 | 1674-1704 | 円通院殿智開禅光大居士 | 楫山墓地 | ||
5 | 池田保教(池田継政) | 1702-1776 | 保国院殿鉄叟空山大居士 | 岡山藩主となる。 | 正覚谷墓地 | |
6 | 池田政純 | 1706-1766 | 徳雲院逸岳崇俊大居士 | 楫山墓地 | ||
世嗣 | 池田政辰 | 1737-1762 | 楫山墓地 | |||
7 | 池田政喬 | 1739-1809 | 徳芳院孤室有隣大居士 | 楫山墓地 | ||
8 | 池田政孝 | 1774-1817 | 正眼院殿密峰言旨大居士 | 楫山墓地 | ||
9 | 池田政徳 | 1799-1845 | 法眼院格外玄機大居士 | 生坂池田家当主を経て天城池田家当主となる | 楫山墓地 | |
10 | 池田政昭 | 1824-1865 | 楫山墓地 | |||
11 | 池田政和 | 1853-1912 | 男爵。 | 楫山墓地 | ||
12 | 池田政佑 | 1883-1926 | 大正天皇に殉死。 | 楫山墓地 | ||
13 | 池田政之 |
片桐池田家
岡山藩池田家家老を世襲した武家。1900年(明治33年)5月9日、華族となり、男爵に列した。武家華族。菩提寺は倉敷の真言宗円福寺・周匝の臨済宗大龍寺。墓地は茶臼山墓地。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田長政 | 1589-1634 | 大龍院殿本岳常心大禅定門 | 茶臼山墓地(新のお塚) | 円福寺、大龍寺 | |
2 | 池田長明 | 1606-1679 | 高徳院殿 | 茶臼山墓地(空のお塚)(東) | ||
3 | 池田長久 | 1645-1697 | 義雲院殿乾外全龍大禅定門 | 茶臼山墓地(空のお塚)(東) | ||
4 | 池田長喬 | 1676-1723 | 亮心院殿一山禅徹大禅定門 | 茶臼山墓地(空のお塚)(東) | ||
5 | 池田長処 | 1696-1754 | 常照院殿超翁天心大居士 | 茶臼山墓地(空のお塚)(東) | ||
6 | 池田長仍 | 1725-1796 | 茶臼山墓地(空のお塚)(西) | |||
7 | 池田長玄 | 1741-1814 | 徳源院殿孤山静翁大居士 | 茶臼山墓地(空のお塚)(西) | ||
8 | 池田長紀 | 1756-1823 | 大覚院殿 | 茶臼山墓地(新のお塚) | ||
9 | 池田長貞 | 1798-1853 | 等覚院殿 | 茶臼山墓地(新のお塚) | ||
10 | 池田長常 | 1820-1876 | ||||
11 | 池田長準 | 1853-1913 | 瑞雲院殿 | 岡山東山墓地 | 国清寺 | |
12 | 池田長康 | 1883-1962 |
建部池田家
岡山藩池田家家老を世襲した武家。1906年(明治39年)9月17日、華族となり、男爵に列した。武家華族。森寺池田家とも。菩提寺は建部金輪寺か。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
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1 | 森寺秀勝 | ?-1585 | 1585年(天正13年)死去 | 岡山文徳寺に位牌 | ||
2 | 森寺忠勝 | 1547-1599 | 1547年(天文16年)生。1599年(慶長4年)死去。 | |||
3 | 森寺長貞 | 1588-1606 | 金輪寺に位牌。 | |||
4 | 池田長政 | 1589-1634 | 金輪寺に位牌? | |||
5 | 池田長泰 | 1626-1657 | 金輪寺に位牌? | |||
6 | 池田宗春 | 1653-1685 | 池田家阿光山墓地 | 金輪寺に位牌? | ||
7 | 池田太寅 | 1682-1723 | 池田家阿光山墓地 | |||
8 | 池田俊清 | 1707-1765 | 池田家阿光山墓地 | |||
9 | 池田博道 | 1748-1812 | 池田家阿光山墓地 | |||
10 | 池田博教 | ?-1806 | ||||
11 | 池田方智 | |||||
12 | 池田博忠 | 1803-1862 | ||||
13 | 池田博文 | 1824-1875 | ||||
14 | 池田博愛 | 1852-1927 | 閑谷神社の神職 | |||
15 | 池田博知 |
池田内膳家
岡山藩家老。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田武憲 | 1645-1695 | ||||
2 | 池田森臻 | 1696-1770 | ||||
3 | 池田森英 |
山池池田家
鳥取池田家の家老。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田之政 | 1617-1669 | 広徳寺 | |||
2 | 池田之信 | |||||
3 | 池田之成 | |||||
4 | 池田之寿 | |||||
5 | 池田之茂 | |||||
6 | 池田之昌 | |||||
7 | 池田之純 | |||||
8 | 池田之貞 | |||||
9 | 池田之聴 |
旗本
井原池田家
旗本。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田長信 | 1622-1656 | 自正 | 池田長幸の子。1642年(寛永19年)1000石を与えられる。 | 東禅寺 | |
2 | 池田友政 | 1650-1704 | 即證 | 東禅寺? | ||
3 | 池田政応 | 1676-1725 | 知睡 | 東禅寺? | ||
4 | 池田豊常 | 1709-1733 | 宗猷 | 東禅寺? | ||
5 | 池田政倫 | 1717-1775 | 恭翁 | 堺奉行。大目付。 | ||
6 | 池田長恵 | 1745-1800 | 生坂藩主池田政晴の四男。目付。京都町奉行。江戸町奉行。大目付。 | |||
7 | 池田長義 | 1782-? | ||||
8 | 池田長喬 | 1676-1723 | ||||
9 | 池田長溥 | 1803-1853 | 玄隆院義岳徹翁大禅門 | 大溝藩主分部光実の子。池田長喬の養子となる。普請奉行、作事奉行、大目付を歴任。1853年(嘉永6年)11月10日死去。51歳。 | 東禅寺 | |
10 | 池田長発 | 1837-1879 | 外国奉行。池田長休の四男。池田長溥の養子。1863年(文久3年)外国奉行。幕府正使としてフランスに赴く。1864年(元治1年)帰国し、攘夷は不可能と建言し解任される。1879年(明治12年)9月12日死去。43歳。別名に長顕。 | 東山墓地 | ||
11 | 池田長春 |
吉富池田家
旗本。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田政親 | 1684-1751 | 日起 | 池田政武の子。1687年(貞享4年)1000石を分与され寄合旗本となる。1751年(宝暦1年)死去。 | 本妙寺 | |
2 | 池田政勝 | 1709-1782 | 日休 | |||
3 | 池田政貞 | 1748-1817 |
屋形池田家
旗本。3000石。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田政済 | 1641-1697 | 霊水 | 山崎藩主池田輝澄の子。3000石を分与される。 | 東禅寺 | |
2 | 池田政因 | 1677-1705 | 了白 | |||
3 | 池田政職 | 1686-1732 | 恵晶 | |||
4 | 池田政休 | 1715-1741 | 宗義 | |||
5 | 池田政美 | 1725-1756 | 宗徳 | |||
6 | 池田政朗 | 1742-1782 | 宗樹 | |||
7 | 池田方教 | 1765-1791 | 玄忠 | |||
8 | 池田政富 | 1771-1812 | ||||
9 | 池田政行 | 1788-1819 | ||||
10 | 池田政和 | 1811-1865 | ||||
11 | 池田政樹 | 1841-1872 |
池田帯刀家
旗本。
当主 | 名 | 生没年 | 法号 | 略歴 | 墓所 | 位牌所・霊社 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 池田長賢 | 1604-1664 | 大嶺 | 池田長吉の子。 | 京都誓願寺 | |
2 | 池田長清 | 1645-1710 | 俊英 | 誓願寺 | ||
3 | 池田長元 | 1697-1718 | 徹清 | 霊厳寺 | ||
4 | 池田長令 | 1702-1722 | 俊凉 | |||
5 | 池田長興 | 1712-1763 | 道温 | |||
6 | 池田長旧 | 1744-1770 | 観道 | |||
7 | 池田清弥 | 1750-? | ||||
8 | 池田長休 | 1783-? | ||||
9 | 池田長顕 | ?-1862 | 書院番頭。講武所奉行。1862年(文久2年)6月14日死去。 | |||
10 | 池田長裕 | 1840-? | 彰義隊頭 |
井原池田家
旗本
- 1池田利重()<>:紹源。池田長信の次男。墓は東禅寺。
- 2池田政相()<>:道節。墓は東禅寺?
- 3池田政胤()<>:性済。墓は東禅寺?
- 4池田政能()<>:
一覧
鳥取藩池田家の寺格
寺格 | 寺名 | 宗派 | 現在の所属 | 所在地 | 概略 |
---|---|---|---|---|---|
四ケ寺1 | 大雲院 | 天台宗 | 天台宗延暦寺派 | 鳥取県鳥取市立川町 | 徳川家康(池田忠継外祖父)を祀る鳥取東照宮の別当。歴代徳川将軍(徳川家光および寛永寺被葬者)の位牌所がある。 |
四ケ寺2 | 興禅寺 | 臨済宗 | 黄檗宗 | 鳥取県鳥取市栗谷町 | 鳥取池田家歴代当主の菩提寺。ただし家祖輝政・1忠継・2忠雄の3人のメインの菩提寺は龍峰寺とされる。末寺清源寺を通じて奥谷墓地を管理した。 |
四ケ寺3 | 龍峰寺 | 臨済宗 | 臨済宗妙心寺派 | 鳥取県鳥取市栗谷町 | 家祖池田輝政、1池田忠継、2池田忠雄、祖先池田恒利、祖先池田恒興(信輝)の5人の位牌を祀る。1707年(宝永4年)の創建と共に興禅寺に次位に列す。 |
四ケ寺4 | 慶安寺 | 浄土宗 | 浄土宗知恩院派 | 鳥取県鳥取市寺町 | 良正院(池田忠継と忠雄の生母、徳川家康娘)と歴代徳川将軍(増上寺被葬者)の位牌所。真鏡院(池田宗泰母)の墓所(のち改葬)。1714年(正徳4年)、八カ寺から四カ寺に昇格。 |
八ケ寺1 | 日香寺 | 日蓮宗 | 日蓮正宗 | 鳥取県鳥取市馬場町 | 芳春院(池田光仲の母)・長源院(池田綱清室)・慶春院(池田綱清娘)・豊光院(池田綱清養女)の位牌所。1714年(正徳4年)八カ寺に列す。 |
八ケ寺2 | 芳心寺 | 日蓮宗 | 日蓮宗久遠寺派 | 鳥取県鳥取市馬場町 | 芳心院(池田光仲の室、徳川頼宣の娘)の分骨所・菩提所(芳心院の本墓は池上本門寺にある)。本高院(池田仲政(光仲弟)生母)、涼月院(池田吉泰生母)、桂香院(池田宗泰室)、慈法院(池田治道生母)の菩提所。1714年(正徳4年)八カ寺に列す。 |
八ケ寺 (順番不詳) | 真教寺 | 浄土宗 | 浄土宗知恩院派 | 鳥取県鳥取市戎町 | 良正院位牌所が慶安寺から移された。蓮池院(池田重寛側室)が埋葬された。吉川経家らの菩提所でもある。1682年(天和2年)頃、八カ寺に列す。 |
八ケ寺 (順番不詳) | 最勝院 | 真言宗 | 高野山真言宗 | 鳥取県鳥取市湯所町 | 池田家の祈願所。仁和寺門跡の院家。領内真言宗触頭。 |
八ケ寺 (順番不詳) | 観音院 | 天台宗 | 天台宗延暦寺派 | 鳥取県鳥取市上町 | 池田家の祈願所。最勝院の次。 |
八ケ寺 (順番不詳) | 宝珠院 | 真言宗 | 高野山真言宗 | 鳥取県鳥取市南町 | 池田家の祈願所。初名は円成院、円城院。 |
八ケ寺 (順番不詳) | 法泉寺 | 日蓮宗 | 顕本法華宗 | 鳥取県鳥取市立川町 | 円妙院(伊佐子。池田光仲娘)、春暁院(米子。池田吉泰娘)の菩提所。1762年(宝暦12年)12月に八カ寺に列す。宝珠院の次。 |
八ケ寺 (順番不詳) | 妙要寺 | 日蓮宗 | 法華宗陣門流 | 鳥取県鳥取市寺町 | 蓮葉院(良正院生母、徳川家康側室)、縁了院(良正院と北条氏直の娘)の位牌を祀る。家老鵜殿家の菩提寺。1764年(明和1年)八カ寺に列す。 |
墓所
- 池田家和意谷墓地:岡山県備前市吉永町都留岐。
- 池田家正覚谷墓地:岡山県岡山市中区円山。曹源寺がある。
- 池田家奥谷墓地:鳥取県鳥取市国府町奥谷宮下。清源寺があった。
- 池田家阿光山墓地:岡山県岡山市北区建部町。岡山藩家老建部池田家の墓地。
- 池田家楫山墓地:岡山県倉敷市藤戸町天城。岡山藩家老天城池田家の墓地。天城高校の南。
- 勝入塚:愛知県長久手市。池田恒興の戦死の地。
- 池田忠継廟:
- 良正院廟:京都府京都市東山区林下町。良正院の墓。知恩院墓地。江戸時代には御霊屋があった。
霊社
- 東神社:北海道岩見沢市東。鳥取東照宮の分社。 祭神は徳川家康・池田忠継・池田忠雄・池田光仲・池田慶徳。無格社。
- 鳥取藩主の祠:北海道釧路市鳥取大通。鳥取藩主を祀るという。現存不明。鳥取神社内。
- 遠江・池田神社:静岡県湖西市新居町新居。池田恒興の首塚。
- 岡山神社:岡山県岡山市北区石関町。池田光政を合祀。県社。
- 池田家御廟:岡山県岡山市北区。池田光政が岡山城二の丸に創建。現在の榊原病院東門のあたり。儒式。明治に芳烈祠遙拝所を合併して閑谷神社遙拝所となった。戦後は再び御廟と称した。1983年(昭和58年)に池田家が土地を売却し、御廟は京山の池田家邸内に遷座した。
- 芳烈祠遙拝所:岡山県岡山市北区丸の内。芳烈祠遙拝所。池田家御廟に合祀。
- ト方神社:岡山県岡山市北区一宮。備前・吉備津彦神社内。祭神は池田信輝と池田輝政。1678年(延宝6年)に2柱が本社相殿に合祀されたというが、その後独立して祀られたか。
- 鏡石神社:岡山県備前市八木山。祭神は池田輝政。
- 閑谷神社:岡山県備前市閑谷。祭神は池田光政・池田輝政・池田利隆(1~3代)。県社。東御堂。芳烈祠。
- 清泰祠:岡山県倉敷市。池田忠雄を祀る。現存不明。
- 鳥取東照宮:鳥取県鳥取市上町。樗谿神社。祭神は徳川家康で、池田忠継・池田忠雄・池田光仲・池田慶徳(1~3代・14代)を合祀する。
- 養林寺御霊屋
菩提寺
臨済宗
- 岡山国清寺:岡山県岡山市中区小橋町。臨済宗妙心寺派。初名は法源寺で、のち龍峰寺と称し、国替えで鳥取国清寺と寺名を交換して国清寺と称す。
- 鳥取国清寺:現在の興禅寺および龍峰寺か。鳥取県鳥取市栗谷町。
- 姫路国清寺:兵庫県姫路市山野井町。池田利隆が創建。のち転封で廃絶か。
- 清泰院:岡山県岡山市南区浦安本町。国清寺の塔頭だった。臨済宗単立?。寺名は池田忠雄の法号による。池田忠継の御霊屋、池田忠雄墓がある。
- 曹源寺:岡山県岡山市中区円山。臨済宗妙心寺派。寺名は池田綱政の法号による。1698年(元禄11年)の創建。裏山に正覚谷墓地がある。
- 少林寺:岡山県岡山市中区国富。臨済宗妙心寺派。赤穂藩主池田家の菩提寺。元は盛岩寺と称し、赤穂にあったが、改易の後、岡山城下片上町に移転。池田政種が1660年(万治3年)に現在地に移転し少林寺と改称した。
- 海禅寺:岡山県倉敷市藤戸町天城。臨済宗妙心寺派。
- 大龍寺:岡山県赤磐市周匝。廃絶。臨済宗。片桐池田家の菩提寺。
- 興禅寺:鳥取県鳥取市栗谷町。黄檗宗。
- 龍峰寺:鳥取県鳥取市栗谷町。臨済宗妙心寺派。
- 瑞光寺:鳥取県鳥取市栗谷町。黄檗宗興禅寺末。天性院(池田輝澄室)の菩提寺。初名は興国寺。
- 清源寺:鳥取県鳥取市国府町奥谷宮下。奥谷墓地に隣接。廃絶。
- 広徳寺:鳥取県鳥取市立川町。臨済宗妙心寺派。池田之政の墓所。山池池田家の菩提寺。
- 了春寺:鳥取県米子市博労町。黄檗宗。
- 清洞寺:鳥取県米子市西町。岡山藩家老天城池田家の菩提寺。池田由之の墓所。黄檗宗。
- 妙心寺天球院:京都府京都市右京区花園妙心寺町。鳥取岡山の両池田家の菩提寺。現在地は寿聖院跡地。開基は池田光政。池田忠継・池田忠雄・天球院(池田恒興娘)の墓があった。臨済宗妙心寺派。
- 妙心寺護国院:京都府京都市右京区花園妙心寺町。臨済宗妙心寺派。
- 妙心寺盛岳院:京都府京都市右京区花園妙心寺町。臨済宗妙心寺派。
- 妙心寺慈雲院:京都府京都市右京区花園妙心寺町。池田恒利・池田信輝・池田元信の墓があった。臨済宗妙心寺派。
- 相国寺善応院:京都府京都市上京区相国寺門前町。善応院(池田恒興室)の墓所。臨済宗相国寺派。
- 宮津国清寺:京都府宮津市金屋谷。池田輝政の菩提寺。娘の寿光院(京極高広室)が創建。臨済宗妙心寺派。
- 東禅寺:東京都港区高輪。臨済宗妙心寺派。
- 弘福寺:東京都墨田区向島。黄檗宗。
- 龍徳寺:岐阜県揖斐郡池田町本郷。臨済宗妙心寺派。池田恒利・池田恒興・池田元助の墓。江戸時代初期から池田家の位牌所と定められていた。1783年(天明3年)、長久手の戦い200年にあたり戦死した藩士を弔う「烈忠霊同聚」の位牌が池田鳥取両藩士によって収められた。「烈忠塔」がある。
- 齢峰寺:岐阜県加茂郡富加町大山。池田恒興・池田元助の墓がある。妙心寺64世の天猷玄晃が二人の葬儀をここで行ったという。臨済宗妙心寺派。
- 興国寺:兵庫県宍粟市山崎町上寺。山崎藩主池田家の菩提寺。臨済宗妙心寺派。
- 梅岳寺:兵庫県たつの市新宮町宮内。臨済宗妙心寺派。新宮藩主池田家の菩提寺。
曹洞宗
- 金輪寺:岡山県岡山市北区建部町中田。建部池田家の位牌所。廃絶か。森寺長貞以来の位牌があったが、宝永年間に大破。曹洞宗?
- 威徳寺:岡山県高梁市上谷町。曹洞宗。備中松山藩池田家の菩提寺。
- 定林寺:岡山県高梁市和田町。曹洞宗。
- 普含寺:鳥取県鳥取市国府町拾石。曹洞宗。若桜藩主池田家の菩提寺。
- 雲龍寺:鳥取県鳥取市鹿野町鹿野。曹洞宗。福本藩主池田家の菩提寺。池田政綱・池田輝澄の位牌を祀る。涅槃寺。凌泰寺。凌泰山。
- 総泉寺:鳥取県米子市愛宕町。曹洞宗。
- 勝入寺:鳥取県倉吉市仲ノ町。曹洞宗。
- 泉龍寺:鳥取県日野郡日野町黒坂。曹洞宗。一時、黒坂を領した池田長政(片桐池田家の祖)が菩提寺とした。因藩二十士の旧跡。
- 幽芳寺:兵庫県神崎郡神河町福本。池田清勝の菩提寺。絶学庵。曹洞宗か。廃絶。
浄土宗
- 養林寺:岡山県岡山市北区富田町。浄土宗知恩院派。廃絶か。池田家歴代の正室らの御霊屋があった。寺名は福照院(池田利隆室)父の榊原康政の法号による。池田光政が創建。御霊屋には福照院、円盛院(池田光政室)、天樹院(徳川秀忠娘)、真証院(池田綱政室)らの位牌を祀った。寺領200石。
- 常念仏寺:岡山県岡山市中区門田。浄土宗知恩院派。跡地不詳。養林寺の火災で御霊屋が遷座した。報恩寺を経て円常寺に合併。
- 慶安寺:鳥取県鳥取市寺町。鳥取藩内で最上位の寺格「四カ寺」の第四位で、因幡国伯耆国の浄土宗触頭だった。
- 真教寺:鳥取県鳥取市戎町。浄土宗知恩院派。良正院(池田輝政継室)の位牌を一時預かる。
- 良正院:京都府京都市東山区林下町。浄土宗知恩院派。知恩院子院。督姫の菩提寺。
- 福正院:京都府京都市北区紫野中柏野町。浄土宗西山深草派。元は誓願寺の子院。池田利隆正室で榊原康政次女の福正院(権大納言局)が創建。福正院は後水尾天皇中宮の東福門院和子に侍女として仕えた。後水尾天皇と東福門院の位牌を祀り、菩提所とした。1883年(明治16年)11月。誓願寺寺地から京都市東山区八坂上町に移転。のち現在地に移転か。
天台宗
- 円務院:岡山県岡山市北区丸の内。岡山城二の丸西郭にあった。1708年(宝永5年)3月、池田綱政の命で創建。池田家の祈願所。池田家御廟に隣接。山号は金剛山。寺領200石。廃絶。天台宗。
- 仏心寺:岡山県岡山市中区湊。天台宗延暦寺派。藩主池田綱政の姉で一条教輔に嫁いだ池田輝子の発願で、1714年(正徳4年)に創建。本堂に池田光政の位牌や池田綱政の肖像を祀り、方丈にも池田継政の肖像を祀った。安楽律院流だった。
- 大雲院:鳥取県鳥取市立川町。鳥取東照宮の別当。鳥取藩内で最上位の寺格「四カ寺」筆頭で、因幡国と伯耆国の天台宗触頭だった。輪王寺宮の院家。天台宗延暦寺派。
日蓮宗
- 日香寺:鳥取県鳥取市馬場町。日蓮正宗。芳春院(池田光仲生母)の位牌所。
- 妙光寺:鳥取県鳥取市鹿野町鹿野。法華宗陣門流。福本藩主池田家の菩提寺。蓮葉院(池田輝澄祖母・徳川家康側室)・国清院(池田輝政)・華光院(池田輝澄母)・雪窓院(池田輝澄娘)の菩提寺。
- 妙要寺:鳥取県鳥取市寺町。法華宗陣門流。蓮葉院(良正院生母、徳川家康側室)、縁了院(良正院と北条氏直の娘)の位牌を祀る。家老鵜殿家の菩提寺。
- 吉祥寺:鳥取県鳥取市滝山。日蓮宗久遠寺派。鹿野藩主池田家の菩提寺。1698年(元禄11年)池田仲澄室の涼月院の墓を芳心寺から卯垣村吉祥寺に遷した。1764年(明和1年)卯垣村から滝山村に移転。廃絶か。
- 徹心寺:兵庫県神崎郡神河町福本。法華宗陣門流。
- 青蓮寺:兵庫県宍粟市山崎町山崎。法華宗陣門流。蓮葉院(良正院生母、徳川家康側室)の菩提寺。
真言宗
- 円福寺:岡山県倉敷市下津井。真言宗御室派。片桐池田家の菩提寺。
不詳
- 文徳寺:岡山県岡山市北区野田屋町。廃絶。森寺秀勝(建部池田家の祖)の位牌所。
資料
- 『吉備温故秘録』「葬祭」[2]
- 『吉備温故秘録』「御廟」[3]
- 水野恭一郎1956「備前藩における神職請制度について」『岡山大学法文学部学術紀要』5
- 水野恭一郎1970「郷學『閑谷學校』の設立とその機構について」[4]
- 水野恭一郎1982「岡山藩神職請制度補考」[5]
- 水野恭一郎1983「岡山藩神職請制度雑考」
- 水野恭一郎1988「知恩院塔頭良正院の草創 附、良正院古文書選」[6]
- 谷口澄夫1963「岡山藩政確立期における寺社政策」『地域社会と宗教の史的研究』
- 田中誠二1979「寛文期の岡山藩政―池田光政の宗教政策と致仕の原因」『日本史研究』202
- 倉地克直1982「岡山藩における宗門改について―神道請から寺請へ」『岡山の歴史と文化』
- 小沢富夫・山本真功1988『備前心学をめぐる論争書』
- 圭室文雄1996「岡山藩の寺社整理政策について」[7]
- 大川真2000「「朱子学」と日本近世社会―岡山藩神職請を題材にして」『日本思想史研究』32
- 吾妻重二2005「近世儒教の祭祀儀礼と木主・位牌」『東アジア世界と儒教―国際シンポジウム 』
- 吾妻重二2008「池田光政と儒教喪祭儀礼」[8]
- 吾妻重二2015「池田光政と儒教喪祭儀礼」[9]
- 河田智成2011「閑谷学校における「学びの場」の建築的構造化について」[10]
- 谷口眞子2011「岡山藩における将軍回忌法要の恩赦」[11]
- 坂輪宣政2012「岡山藩の宗教統制と領内寺院」[12]
- 井関大介2014「近世日本における経世論的宗教論と「神道」」[13]
- 2018『池田家文庫絵図展岡山藩と寺社』岡山大学附属図書館[14]
- 近藤萌美2014「江戸前期岡山藩主の先祖祭祀とその思想背景」[15]
- 岡山大学池田家文庫絵図公開DB[16]