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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

慶安寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年4月21日 (火)

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慶安寺は鳥取県鳥取市寺町にある池田家徳川家ゆかりの浄土宗寺院。本尊は阿弥陀如来。鳥取藩内で最上位の寺格「四カ寺」(天台大雲院、黄檗興禅寺、臨済龍峰寺、浄土慶安寺)の第四位で、因幡国伯耆国の浄土宗触頭だった。大雲院と共に徳川歴代将軍の位牌所。山号は智光山。

歴史

元は淡路国由良にあり、専称寺といった。徳川家康娘で池田輝政室の良正院は1615年(元和1年)京都で死去し、知恩院に葬られた。 池田忠雄は領地の専称寺を母の菩提寺とした。1615年(元和1年)岡山転封と共に専称寺を岡山に移転。1627年(寛永4年)十三回忌にあたり、慶安寺と改称した。池田光仲の鳥取転封で鳥取に移転。1682年(天和2年)焼失。

「八カ寺」の筆頭だったが、1714年(正徳4年)9月28日、将軍徳川家宣の位牌所となり「四カ寺」の一つとなる。さらに歴代将軍の位牌もまつられた。1722年(享保7年)、200石となった。歴代藩主がたびたび参詣した。1767年(明和4年)、池田宗泰母の真鏡院が死去し埋葬された。1720年(享保5年)の石黒火事で焼失。1793年(寛政5年)本堂再建着手。昭和10年代に真鏡院墓は池田家墓所に改葬。 (日本歴史地名大系)

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