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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

園城寺法明院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年7月30日 (日)

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園城寺法明院(おんじょうじ・ほうみょういん)は、滋賀県大津市の園城寺にある天台律宗寺院。法明律院比叡山の項目も参照。山号は長等山。

開山は安楽律院流の義瑞性慶(1667-1737)。享保8年(1723)、僧衆の要請で、最澄が長安青龍寺戒壇の土を持ち帰り埋めたと伝える地を定め、11月に起工。翌年、方丈などが竣工。9月に居を移し、園城寺の律院とした。 フェノロサや町田久成の墓があることで知られる。

組織

歴代

  • 1義瑞性慶(1667-1737):井上氏。6歳で園城寺に入り、亮慶に師事。博覧強記で如来蔵の異名で呼ばれる。元禄2年(1689)、妙立慈山(1637-1690)に師事し、菩薩戒を受ける。のち沙弥戒を自誓受戒。聖護院宮道祐法親王(1670-1690)に帰依され、大仙院を賜うが、諸所に住して清貧を過ごす。兄弟子の霊空光謙(1652-1739)とは論争する。(『近江人物志』[1]
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5顕道敬光(1740-1795):敬雅に師事。寛政6年(1794)、法明院住職となる。安楽律派を認めない立場を取り、批判を展開。円頓戒を研究。弟子に儒童(量)敬天、亮碵、良厳、仏猊がいる。(『近江人物志』)
  • 6越渓敬長(1779-1836):(『近江人物志』)
  • 7恭堂敬彦(1807-1860):越渓敬長に師事。天保7年(1836)、師の死で法明院住職となる。(『近江人物志』)
  • 8桜井敬徳(1830-1885):恭堂敬彦に師事。文久元年(1861)、法明院住職となる。フェノロサに授戒。東京小石川の円密道場で死去。(『近江人物志』)
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