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延暦寺安楽律院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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安楽律院(あんらくりついん)は、滋賀県大津市の比叡山延暦寺の横川地区飯室谷にある浄土教と律を修する天台宗寺院。安楽律院流の拠点だった。旧本尊は源信作の阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩(焼失)。天台宗延暦寺派。安楽院。(参考:同名寺院安楽院)
歴史
寛和元年(985)10月、叡桓が範好・忠正・延久・惟慶と共に建てた念仏道場が起源。翌年夏、源信を招き、念仏行法を始めた。この時、慶滋保胤が縁起文を記した。ついで長徳2年(996)8月、叡桓らは「首楞厳院安楽谷起請文」を定めた。
織田信長の焼き討ちを免れる。元禄6年(1693)、公弁法親王が霊空光謙に与え、四分律を兼学する天台律の道場となる。霊空は師の妙立慈山を中興開山とした。元禄10年、幕府から100石を与えられる。 しかし、大乗戒を主張する守旧派と対立。安楽騒動となる。 享保3年(1718)、伝法灌頂を始める。
江戸寛永寺には浄名律院、日光満願寺には興雲律院があった。 昭和24年、焼失。
叡桓墓、藤原定家墓、慈山墓、光謙墓、智幽墓がある。
(国史大事典、日本歴史地名大系)
組織
中興以降
- 1妙立慈山
- 2霊空光謙
- 3玄門智幽