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弘川寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 『元亨釈書』によると、宝亀年間に光意という僧が修行していた。 | ||
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+ | 南北朝時代、南朝の人質となった光厳上皇らが滞在した(祇園執行日記)。 | ||
+ | 1460年、一帯が戦場となり被災したとみられる。 | ||
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+ | 江戸時代に似雲が西行堂を建てた。 | ||
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2018年9月29日 (土) 時点における版
弘川寺(ひろかわでら)は、大阪府南河内郡河南町にある西行ゆかりの真言宗寺院。本尊は薬師如来。西行の墓所。真言宗醍醐派準別格本山。瑠璃光院。山号は龍池山。
歴史
665年役小角の創建。676年、役小角の祈雨祈祷に霊験があり勅願寺となったという。 天平年間、行基が修行したとされる。
『元亨釈書』によると、宝亀年間に光意という僧が修行していた。
812年、空海が伽藍を整備した。 1189年、西行が寺内に庵を建てたが、翌年死去した。 壮大な伽藍があったが、寛正年間の兵火で焼失した。
南北朝時代、南朝の人質となった光厳上皇らが滞在した(祇園執行日記)。 1460年、一帯が戦場となり被災したとみられる。
江戸時代に似雲が西行堂を建てた。