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弘川寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年7月4日 (土)
弘川寺(ひろかわでら)は、大阪府南河内郡河南町弘川にある西行ゆかりの真言宗寺院。本尊は薬師如来。西行の墓所。真言宗醍醐派準別格本山。瑠璃光院。山号は龍池山。
葛城山の西にある。
歴史
665年(天智4年)役小角の創建。676年(天武5年)、役小角の祈雨祈祷に霊験があり勅願寺となったという。 天平年間、行基が修行したとされる。『元亨釈書』によると、宝亀年間に光意という僧が修行していた。 812年(弘仁3年)、空海が伽藍を整備した。
1188年(文治4年)、弘川寺座主の空寂が後鳥羽天皇の病気平癒祈願のため宮中が尊勝仏頂法を修して霊験を現し帰依を受けた。 奥之院善成寺の勅額を受けた。1189年(文治5年)、西行が寺内に庵を建てたが、翌年2月16日死去した。 壮大な伽藍があったが、1463年(寛正4年)の兵火で焼失した。
南北朝時代、南朝の人質となった光厳上皇らが滞在した(祇園執行日記)。 1460年(寛正1年)、一帯が戦場となり被災したとみられる。
江戸時代に似雲が近くに花の庵を建てて隠棲し、弘川寺に西行堂を建てた。
伽藍
- 本堂:
- 護摩堂:本尊は不動明王。役小角も祀る。
- 御影堂:本尊は空海。御影堂の前には「三鈷の松」がある。
- 西行堂:本尊は西行。
- 西行墓:西行の墓。
- 花の庵:似雲の庵。廃絶。
- 西行庵:廃絶。
- 西行記念館