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律宗の人物旧跡
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
律宗の人物旧跡
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[[律宗]]の[[諸師旧跡]]。 ==中国== *法礪(569-635):律宗相部派(相部宗)の開祖。霊裕に師事。『四分律疏』『羯磨疏』などを著す。 *[[道宣]](596-667):律宗南山流(南山宗)の開祖。唐の湖州出身。銭氏。智首に師事。[[終南山]]に住す。一時、法礪に師事したこともある。『四分律行事鈔』『四分律羯磨』『釈門亡物軽重儀』『釈門章服儀』『釈門帰敬儀』『戒壇図経』『祇園寺図経』など律の重要典籍を著述。また『大唐内典録』『続高僧伝』『広弘明集』など。[[玄奘]]の経典漢訳に協力。[[西明寺]]に住す。道宣律師。'''南山律師'''。'''南書大師'''。諡号は'''澄照律師'''。 *懐素(625-698):律宗東塔派(東塔宗)の開祖。 *元照:南山律[[資持派]]の祖。広慈慧才に南山律を学ぶ。『四分律行事鈔資持記』。 *允堪:会正派の祖。 ==日本== ===奈良時代=== *[[道セン]](702-760):律宗・華厳宗の来日僧。唐の許州出身。衛氏。洛陽[[大福先寺]]の定賓に律を学ぶ。戒師を求める[[栄叡]]らの招請で[[菩提僊那]]らとともに来日し、[[東大寺]]大仏開眼の呪願師を務めた。『華厳経章疏』を初めて伝え、日本[[華厳宗]]の祖でもある。 *[[栄叡]](?-749):律宗の入唐僧。美濃出身。戒律の師を求めて天平5年(733)に普照とともに入唐。道センの招聘に成功。さらに鑑真の渡来に画策するが、その最中、[[端州龍興寺]]で客死。 *'''普照'''(生没年不詳):律宗の入唐僧。戒律の師を求めて天平5年(733)に栄叡とともに入唐。道セン、鑑真の招聘に成功。[[東大寺唐禅院]]に住し、[[西大寺]]大鎮となる。'''業行'''。 *[[鑑真]](688-763):来日僧。[[東大寺戒壇院]]、[[唐招提寺]]を創建。 *'''法進'''(709-778):天台宗の来日僧。唐の申州(あるいは明州)出身。王氏。鑑真に師事し、律と天台を学んだ。[[揚州白塔寺]]にいた。師とともに天平勝宝5年(753)に来日。鑑真の東大寺戒壇院創建を助け、その初代戒和上となった。[[東大寺唐禅院]]に住す。 *'''如宝'''(731-815):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。 *'''義静'''(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事。[[揚州興雲寺]]住職。唐招提寺で経蔵を整備。 *'''思託'''(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。 *'''法載'''(生没年不詳):来日僧。鑑真に師事し、ともに来日。'''法蔵'''。 *'''豊安'''(764-840):三河出身。唐招提寺如宝に師事。唐招提寺5世となり伽藍整備を進める。平城上皇に授戒。 ===平安時代=== *[[最澄]](767-822):日本[[天台宗]]開祖。鑑真の律を否定。大乗戒を主張。延暦寺戒壇院。 *'''実範'''(?-1144):真言律宗唐招提寺流の僧。藤原氏。真言宗中川流の祖。[[成身院]]を開く。[[唐招提寺]]を復興。'''本願'''。'''中川少将'''。'''少将上人'''。 ===鎌倉時代=== *[[俊ジョウ]](1166-1227):真言律宗[[泉涌寺流]]の開祖。[[泉涌寺]]開山。'''月輪大師'''、'''大興正法国師'''。 *[[覚盛]](1194-1249):真言律宗。大和出身。[[東大寺]]で自誓受戒。唐招提寺を復興。'''大悲菩薩'''。 *[[叡尊]](1201-1290):真言律宗[[西大寺流]]の開祖。大和出身。[[興福寺]]の学侶慶玄の子。[[醍醐寺]]叡賢に師事。東大寺で自誓受戒。'''思円房'''。'''興正菩薩'''。 *'''円晴''': *[[忍性]](1217-1303):大和出身。伴氏。真言律宗西大寺流。叡尊、覚盛に師事。[[鎌倉・極楽寺]]を創建。[[四天王寺]]別当。'''忍性菩薩'''。 *'''円照'''(1220-1277):東大寺の僧。[[東大寺戒壇院]]中興と言われる。大和出身。藤原氏。叡尊、禅恵、[[良忠]]に師事。東大寺戒壇院主。[[円爾]]にも師事。東大寺大勧進職。'''実相'''。 *'''証玄'''(1220-1292):真言律宗唐招提寺流の僧。覚盛に受戒。唐招提寺を継ぐ。円律。 *[[導御]](1223-1311):大和出身。大鳥広元の子。[[法金剛院]]、[[壬生寺]]の中興。唐招提寺証玄に師事。[[法隆寺]]夢殿で[[融通念仏]]を広めるように[[聖徳太子]]の託宣を得る。壬生寺、[[清涼寺]]などの大念仏会を実施した。'''円覚十万上人'''。 *'''凝然'''(1240-1321):東大寺の僧。伊予出身。藤原氏。[[延暦寺戒壇院]]で受戒。東大寺円照に師事。華厳、倶舎、律、三論、法相、天台、真言、禅、浄土の各宗に精通し、『八宗綱要』などを記す。東大寺戒壇院長老、唐招提寺長老を務める。'''示観房'''。'''凝然大徳'''。'''示観国師'''。 *'''宣瑜'''(1240-1325):叡尊に師事。伊勢[[弘正寺]]住職を経て[[西大寺]]3代長老。[[花園天皇]]の帰依を受けた。'''浄覚'''。 *'''湛睿'''(1271-1347):凝然、禅爾に師事。[[下総東禅寺]]などに住す。[[武蔵称名寺]]第3代長老となる。華厳学の大家でもあった。金沢文庫に多くの仏典の写本を残す。'''本如'''。 *'''文観'''(1278-1357):真言律宗西大寺流の僧。[[立川流]]の大成者。[[播磨一乗寺]]で学び、叡尊のもとで律僧となる。[[大和・竹林寺]]長老。[[報恩院流]]を学ぶ。[[東寺]]大勧進、[[醍醐寺]]座主を歴任。'''弘真'''、'''文観房殊音'''、'''小野僧正'''。 *[[円観]](1281-1356):[[法勝寺]]を復興。[[後醍醐天皇]]に仕える。[[遠国四戒壇]]を設立。鎌倉[[宝戒寺]]開山。'''慧鎮'''('''恵鎮''')。'''慈威和尚'''。 ===南北朝・室町時代=== *[[真盛]](1443-1495):天台律宗[[真盛派]](現・天台真盛宗)の祖。[[西教寺]]開山。'''円戒国師'''、'''慈摂大師'''。 ===近世=== *'''明忍'''(1576-1610):真言律宗[[西明寺流]]の祖。各宗派にまたがる近世戒律復興運動の開祖。京都出身。中原氏。[[西大寺]]で学ぶ。[[高山寺]]で自誓受戒。槙尾[[西明寺]](平等心王院、心王律院)を復興。明に渡ろうと対馬滞在中に客死。'''俊正'''。 *'''良永'''(1585-1647):真言律宗の僧。対馬出身。高野山の[[円通寺]]を復興。[[法隆寺北室院]]や[[叡福寺]]を兼務。'''賢俊良永'''。 *'''正専如周'''(1594-1647):[[泉涌寺]]の僧。 *'''円忍'''(1609-1678):真言律宗[[神鳳寺流]]の祖。高野山円通寺の良永に師事。円通寺、[[法隆寺北室院]]、[[神鳳寺]]を歴任。'''真政円忍'''。 *'''慈忍慧猛'''(恵猛)(1613-1662):真言律宗[[野中寺流]]の祖。[[泉涌寺]]の正専如周に師事する一方、槙尾西明寺の真空了阿にも学ぶ。さらに西大寺で伝法灌頂を受けた。[[野中寺]]を復興。 *[[元政]](1623-1668):[[日蓮宗草山派]](草山律)の祖。京都出身。石井家。泉涌寺如周の法華経講話を聞き、感動。京都[[妙顕寺]]で出家。[[瑞光寺]]開山。'''深草元政'''。'''日政'''。'''日如'''。'''日峰'''。'''不可思議'''。'''泰堂'''。 *'''湛海'''(1629-1716):真言律宗の僧。伊勢出身。山田氏。[[神鳳寺]]円忍の教えを受ける。[[宝山寺]]の開山。仏像彫刻の名匠。'''宝山律師'''。 *'''慈山妙立'''(1637-1690):天台律宗[[安楽律院流]]の開祖。美作出身。和田氏。最初、[[山城花山寺]]で禅を学ぶが、天台宗に転派。[[比叡山]]で修行するが、日本天台宗伝統の大乗戒を否定し、南山律を主張したため、異議として追放された。[[泉涌寺]]や[[西明寺]]でも律を学ぶ。のち[[輪王寺宮]]公弁法親王が安楽律院流として認め、[[延暦寺安楽律院]]の中興の祖とみなされた。'''唯忍子'''。 *[[浄厳]](1639-1702):真言律宗[[霊雲寺流]](如法真言律)の祖。上田氏。徳川綱吉の帰依を受けて[[霊雲寺]]を創建。[[新安祥寺流]]を大成。'''妙極堂'''、'''瑞雲道人'''。 *[[忍徴信阿]](1645-1711):[[浄土宗興律派]](浄土律)の祖。直伝、ついで万無に師事。京都で[[西明寺]]を訪れ、律院に感銘を受ける。西明寺、[[神鳳寺]]での修行を臨んだが、真言宗寺院であるため、念仏を許されず、入らなかった。山城八幡の[[山城・正法寺]]に滞在。[[知恩院]]に晋山した万無に招かれ、京都の[[法然院]]を創建した。'''宣誉'''。 *'''性憲慈空'''(1646-1719):浄土律宗([[浄土宗西山流]])の僧。真言律宗の慈忍慧猛に師事し、菩薩戒を受ける。深草の[[真宗院]]を復興。 *'''戒山慧堅'''(1649-1704):真言律宗の僧。黄檗宗鉄眼のもとで出家。野中寺慧猛に戒律を学ぶ。[[安養寺]]を中興する。'''退耕道人'''。 *'''霊空光謙'''(1652-1739):天台律宗安楽律院流の第二祖。筑前出身。岡村氏。慈山妙立に師事。安楽律院流を興隆し、[[安楽律院]]住職となった。江戸の[[寛永寺浄名律院]]や日光の[[輪王寺興雲律院]]も開いた。'''光舜'''。'''幻々庵'''。'''有門庵'''。 *'''智幽'''(1666-1752):天台律宗安楽院派の第三祖。伊勢出身。茨木氏。慈山妙立、霊空光謙に学ぶ。50ほどの寺院を開いたという。'''玄門''' *'''性慶'''(1667-1737):天台律宗[[法明院流]]の祖。井上氏。慈山妙立に師事するが、霊空とは対立した。[[園城寺法明院]](法明律院)を中興。'''義瑞律師'''。 *'''忍綱貞紀'''(1671-1750): *[[霊潭性澂]](1676-1734):浄土宗興律派(浄土律)の祖ともされる。肥前出身。藤原氏。忍徴信阿に師事。律は真言律宗の安養寺戒山慧堅に学ぶ。京都に[[聖臨庵]](照臨庵)を開く。 *'''信培湛慧'''(1676-1747):浄土宗興律派(浄土律)の僧。京都出身。谷口氏。[[華開院]]息庵のもとで出家。霊潭性澂に戒律を学ぶ。京都[[長時院]]を再興。'''澄蓮社忍誉'''。 *[[敬首祖海]](1683-1748):浄土宗興律派(浄土律)の僧。増上寺で出家。忍徴信阿に師事。江戸の[[正受院]]を律院とする。浄土律院規則を定めた初めともいう。下谷[[寿永寺]]に埋葬され、同寺も律院となる。 *[[慈雲]](1718-1804):真言律宗[[高貴寺流]](正法律)の祖。上月氏。摂津大坂出身。[[法楽寺]]で出家し、野中寺で受戒。[[高貴寺]]を開く。[[雲伝神道]]を創唱。'''慈雲尊者'''。'''慈雲飲光'''。 ===近代=== ==朝鮮== [[category:人物旧跡|*]]
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