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志摩国分尼寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年10月24日 (火)
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'''志摩国分尼寺'''は志摩国にあった[[古代寺院]]。[[諸国国分尼寺]]の一つ。跡地は不明。[[志摩国分寺]]の近隣か。『類聚三代格』によると、744年(天平16年)7月23日に、尾張国の正税40000束の出挙の息利を国分寺僧尼両寺の造営に当てたとあり、『日本後紀』809年(大同4年)閏2月25日条には「志摩国国分二寺」の僧尼を[[伊勢国分寺]]に移したとあり、存在したことは史料上確認できる。 | '''志摩国分尼寺'''は志摩国にあった[[古代寺院]]。[[諸国国分尼寺]]の一つ。跡地は不明。[[志摩国分寺]]の近隣か。『類聚三代格』によると、744年(天平16年)7月23日に、尾張国の正税40000束の出挙の息利を国分寺僧尼両寺の造営に当てたとあり、『日本後紀』809年(大同4年)閏2月25日条には「志摩国国分二寺」の僧尼を[[伊勢国分寺]]に移したとあり、存在したことは史料上確認できる。 | ||
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+ | 1939年(昭和14年)の大西源一編『三重県郷土史』[https://dl.ndl.go.jp/pid/1257997/1/78]では大堂山を候補地と上げつつも出土品や遺構がないので否定し、志摩国分寺の現存寺の場所を尼寺ではないかとしている。 | ||
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2023年10月24日 (火) 時点における最新版
志摩国分尼寺は志摩国にあった古代寺院。諸国国分尼寺の一つ。跡地は不明。志摩国分寺の近隣か。『類聚三代格』によると、744年(天平16年)7月23日に、尾張国の正税40000束の出挙の息利を国分寺僧尼両寺の造営に当てたとあり、『日本後紀』809年(大同4年)閏2月25日条には「志摩国国分二寺」の僧尼を伊勢国分寺に移したとあり、存在したことは史料上確認できる。
1939年(昭和14年)の大西源一編『三重県郷土史』[1]では大堂山を候補地と上げつつも出土品や遺構がないので否定し、志摩国分寺の現存寺の場所を尼寺ではないかとしている。