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志紀長吉神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年4月28日 (日)
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(ページの作成:「'''志紀長吉神社'''(しき・ながよし・じんじゃ)は大阪府大阪市平野区長吉長原(河内国志紀郡)にある神社。祭神は[[長江襲...」)
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2019年4月28日 (日) 時点における最新版
志紀長吉神社(しき・ながよし・じんじゃ)は大阪府大阪市平野区長吉長原(河内国志紀郡)にある神社。祭神は長江襲津彦命と事代主命。大嘗祭に日蔭蔓を貢するため日蔭明神・日蔭大明神と称した(河内志)。官社。郷社。通称は永原大宮。
歴史
創建不詳。葛城氏が祀ったと推測されている。『三代実録』によると、859年(貞観1年)1月27日、志紀長吉神が従五位下より従五位上となる。伝承では1056年(天喜4年)2月に正一位となったという。809年(大同4年)、日蔭大明神の神号を賜ったという伝もある。戦国時代には永原大宮と呼ばれた。現在の鎮座地は江戸時代には丹北郡(もと丹比郡)の区域だったが、郡境の変更か鎮座地の変更のためと考えられている。 (日本歴史地名大系)