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恭明宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
恭明宮
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'''恭明宮'''(きょうめいぐう)とは、明治初期に創建された、皇室歴代の念持仏を奉安する仏堂である。のち泉涌寺に遷座合祀された。 皇室では平安時代中期より、[[御黒戸]]と呼ばれる間に、天皇皇族の位牌や念持仏を祀ってきた。しかし、明治維新に伴う皇室祭祀の神式化によって、お黒戸は廃止されることになった。皇室の祖先祭祀は、新たに創建された[[皇霊殿]]で行うこととなり、従来の天皇皇族の位牌と念持仏を宮中の外に遷す必要が生じた。そこで、新たに堂宇を建てて遷座奉安することになった。 1871年(明治4年)5月30日、[[水薬師寺]]の一室を恭明宮仮殿として遷座した。中御門経之が恭明宮御用掛に任じられた。 ついで、同年11月、[[方広寺]]境内(現在の京都国立博物館の地)に恭明宮を造営し、位牌・念持仏を遷座した。11月10日には宮内省の管轄となっている。 しかし、恭明宮は廃止の方針となり、1873年(明治6年)3月14日(あるいは17日)、位牌・念持仏は[[泉涌寺]]に遷座した。 当初は舎利殿に奉安されたが、のち海会堂(あるいは霊明殿?)に奉安された。 ==参考文献== *阪本健一1968年(昭和43年)「皇室に於ける神仏分離」『明治維新神道百年史』第4巻
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