ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
慈光寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年12月30日 (土)
(版間での差分)
1行: | 1行: | ||
- | '''慈光寺'''(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある[[観音信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[坂東三十三所観音霊場]]の第9番札所。本尊は'''十一面千手千眼観世音菩薩'''。近隣の[[武蔵・安楽寺|安楽寺]]、[[武蔵・正法寺|正法寺]]とともに'''比企三山'''と呼ばれる。[[天台宗延暦寺派]]。[[修験]]の寺でもあった。古代の[[天台別院]]。'''都幾山慈光寺''' | + | '''慈光寺'''(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある[[観音信仰]]の[[天台宗]]寺院。[[坂東三十三所観音霊場]]の第9番札所。本尊は'''十一面千手千眼観世音菩薩'''。近隣の[[武蔵・安楽寺|安楽寺]]、[[武蔵・正法寺|正法寺]]とともに'''比企三山'''と呼ばれる。[[天台宗延暦寺派]]。[[修験]]の寺でもあった。古代の[[天台別院]]。'''都幾山慈光寺'''。(参考:同名寺院[[慈光寺_(同名)]]) |
+ | |||
白鳳時代、慈光が慈訓に千手観音を刻ませて祀ったのが始まりという。のち[[役行者]]が西蔵坊を建立。さらに[[鑑真]]弟子の[[道忠]]が丈六[[釈迦]]像を刻み、初代住職となった。[[円仁]]が立ち寄ったという伝説もある。貞観年間(859-877)には「'''天台別院一乗法華院'''」と称し、のち[[源頼朝]]が奥州征伐に際し、[[愛染明王]]を奉安し戦勝祈願した。近世には[[桂昌院]]の帰依を受けた。(『古寺名刹大辞典』) | 白鳳時代、慈光が慈訓に千手観音を刻ませて祀ったのが始まりという。のち[[役行者]]が西蔵坊を建立。さらに[[鑑真]]弟子の[[道忠]]が丈六[[釈迦]]像を刻み、初代住職となった。[[円仁]]が立ち寄ったという伝説もある。貞観年間(859-877)には「'''天台別院一乗法華院'''」と称し、のち[[源頼朝]]が奥州征伐に際し、[[愛染明王]]を奉安し戦勝祈願した。近世には[[桂昌院]]の帰依を受けた。(『古寺名刹大辞典』) | ||
[[category:埼玉県]] | [[category:埼玉県]] |
2017年12月30日 (土) 時点における最新版
慈光寺(じこうじ)は、埼玉県比企郡ときがわ町にある観音信仰の天台宗寺院。坂東三十三所観音霊場の第9番札所。本尊は十一面千手千眼観世音菩薩。近隣の安楽寺、正法寺とともに比企三山と呼ばれる。天台宗延暦寺派。修験の寺でもあった。古代の天台別院。都幾山慈光寺。(参考:同名寺院慈光寺_(同名))
白鳳時代、慈光が慈訓に千手観音を刻ませて祀ったのが始まりという。のち役行者が西蔵坊を建立。さらに鑑真弟子の道忠が丈六釈迦像を刻み、初代住職となった。円仁が立ち寄ったという伝説もある。貞観年間(859-877)には「天台別院一乗法華院」と称し、のち源頼朝が奥州征伐に際し、愛染明王を奉安し戦勝祈願した。近世には桂昌院の帰依を受けた。(『古寺名刹大辞典』)