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慶州・始祖廟
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
慶州・始祖廟
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'''始祖廟'''は王都[[慶州]]にあった[[新羅王室]]の[[祠廟]]。赫居世王を祀る。三国史記の表記では、'''国祖廟'''、'''神宮'''とも呼ばれ、'''祖考廟'''、'''先祖廟'''も始祖廟を意味する可能性がある。後に「神宮」や「五廟」制度が設けられるが、本サイトでは始祖廟とは別個のものと考え、[[神宮_(奈乙)]]や[[宗廟_(新羅)]]を参照(これらも始祖廟と同一の可能性も否定はできない)。 ==即位儀礼== *即位2年目の1~2月に参拝することが多い。 *祭祀と参詣の違いは不明。 *24代、29代、39代、43~46代、49~54代、56代は始祖廟などへの参拝祭祀の記事を三国史記で確認できない。30代文武王の「先祖廟」参拝も即位8年目。 *30代文武王は戦乱中の即位のため、即位直後の祭典の実施が叶わなかったか。 *39代、43~45代は在位が短いため儀礼を行うに至らなかったとみられる。 *24代、49~51代は仏教の帰依によるものか。49~51代は即位直後に皇龍寺で百高座を設け、国王が行幸している。 *52~54代、56代は王朝の衰退によるものか。 *29代武烈王、46代が参詣しなかった理由は不明。 == 歴史 == *6年1月:2代南解王、始祖廟を創立。 *25年2月:3代儒理王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。即位翌年。 *58年2月:4代脱解王、始祖廟を親祭した。即位翌年。 *81年2月:5代婆娑王、始祖廟を親祭した。即位翌年。 *113年2月:6代祇摩王、始祖廟を親祭した。即位翌年。 *135年1月:7代逸聖王、始祖廟を親祭した。即位翌年。 *155年1月:8代阿達羅王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。即位翌年。 *170年2月:始祖廟を修復。 *185年1月:9代伐休王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。即位翌年。 *197年1月:10代奈解王、始祖廟に参詣。即位翌年。 *198年4月:始祖廟の前の臥柳が自然にたちあがったという。 *205年8月:狐が金城や始祖廟の庭で鳴いた。 *230年7月:11代助賁王、始祖廟に参詣。即位元年。 *247年7月:12代沾解王、始祖廟に参詣。即位元年。 *253年:12代沾解王、5月から7月まで雨がなかったので「祖廟」や名山を祭った。 *263年2月:13代味鄒王、「国祖廟」を親祭し、大赦を行った。即位2年。 *285年1月:14代儒礼王、始祖廟に参詣。即位翌年。 *299年2月:15代基臨王、始祖廟を祭った。即位翌年。 *311年2月:16代訖解王、始祖廟を親祭した。即位翌年。 *358年2月:17代奈勿王、始祖廟を親祭。即位3年。すると紫雲が廟の上を巡り、神雀が廟の庭に集まった。 *362年4月:始祖廟の庭の2本の木が枝を一つに連ねた。 *404年2月:18代実聖王、始祖廟を参詣した。即位3年。 *418年1月:19代訥祇王、始祖廟を参詣した。即位翌年。 *435年4月:19代訥祇王、始祖廟を祭った。2月の歴代陵墓の修復と関係あるか。2度目の参詣。 *459年2月:20代慈悲王、始祖廟に参詣。即位翌年。 *480年2月:21代〓知王、始祖廟を祭る。即位翌年。 *485年4月:21代〓知王、始祖廟を親祭。2度目の参詣。墓守20家を増した。 *487年2月:21代〓知王、生誕地の奈乙に(別個に)[[神宮_(奈乙)|神宮]]を創設。同書「祭祀志」では22代智証王の代の創建とする。 *495年1月:21代〓知王、神宮を親祭。始祖廟だとすれば3度目の参詣。 *502年3月:22代智証王、神宮を親祭。即位3年。 *516年1月:23代法興王、神宮を親祭。即位3年。 *577年2月:25代真智王、神宮を親祭。大赦を行った。即位翌年。 *580年2月:26代真平王、神宮を親祭。即位翌年。 *633年1月:27代善徳女王、神宮を親祭。大赦。1年間、租調を免除。即位翌年。 *647年11月:28代真徳女王、神宮を親祭。即位元年。 *668年11月6日:30代文武王、文臣武臣を率いて「先祖廟」に拝謁。百済・高句麗討伐の報告。先祖廟が始祖廟に該当するのかは不詳。即位8年。 *682年1月:31代神文王、神宮を親祭。大赦。即位翌年。 *687年4月:31代神文王、大臣を「祖廟」に派遣し祭祀を行った。太祖大王(誰を指すかは諸説ある)、真智大王、文興大王、太宗大王、文武大王の霊に祈願。五廟制度の創始とされる。 *694年1月:32代孝昭王、神宮を親祭。大赦。即位3年。 *703年1月:33代聖徳王、神宮を親祭。即位翌年。 *739年1月:34代孝成王、「祖考廟」に参詣。始祖廟に該当するかは不詳だが即位翌年の1月の実施ということからは始祖廟の可能性はある。 *744年4月:35代景徳王、神宮を親祭。即位3年。 *766年2月:36代恵恭王、神宮を親祭。即位翌年。 *恵恭王代:36代恵恭王、五廟制度を改正。味鄒王(始祖?)、太宗大王、文武大王、聖徳大王、景徳大王とする。(祭祀志による。新羅本紀には該当記事はない) *781年2月:37代宣徳王、神宮を親祭。即位翌年。 *785年2月:38代元聖王、祖先に追尊すると共に、五廟制度を改正。聖徳大王、開聖大王の2廟を壊す。始祖大王、太宗大王、文武大王、興平大王、明徳大王の五廟とした。 *787年2月:38代元聖王、神宮を親祭。大赦。即位3年。 *801年2月:40代哀荘王、始祖廟に参詣。即位翌年。五廟制度を改正。五廟を始祖大王、明徳大王、元聖大王、恵忠大王、昭聖大王の廟とした。太宗大王、文武大王、興平大王が外されたが、太宗大王廟、文武大王廟を別に新たに設けた。 *802年1月:40代哀荘王、神宮を親祭。即位3年。 *810年2月:41代憲徳王、神宮を親祭。即位翌年。 *813年2月:41代憲徳王、始祖廟に参詣。参詣は2度目。 *827年1月:42代興徳王、神宮を親祭。即位翌年。 *833年4月:42代興徳王、始祖廟に参詣。参詣は2度目。 *841年7月:46代文聖王の時代、5匹の虎が神宮の園内に入った。 *858年1月:47代憲安王、神宮を親祭。即位翌年。 *862年2月:48代景文王、神宮を親祭。即位翌年。 *872年2月:48代景文王、神宮を親祭。2度目の参詣。 *924年10月:55代景哀王、神宮を親祭。大赦。即位1年。 [[Category:大韓民国慶尚北道]]
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