ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

慶州・始祖廟

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月15日 (火)

移動: 案内, 検索

始祖廟は王都慶州にあった新羅王室祠廟。赫居世王を祀る。三国史記の表記では、国祖廟神宮とも呼ばれ、祖考廟先祖廟も始祖廟を意味する可能性がある。後に「神宮」や「五廟」制度が設けられるが、本サイトでは始祖廟とは別個のものと考え、神宮_(奈乙)宗廟_(新羅)を参照(これらも始祖廟と同一の可能性も否定はできない)。

即位儀礼

  • 即位2年目の1~2月に参拝することが多い。
  • 祭祀と参詣の違いは不明。
  • 24代、29代、39代、43~46代、49~54代、56代は始祖廟などへの参拝祭祀の記事を三国史記で確認できない。30代文武王の「先祖廟」参拝も即位8年目。
  • 30代文武王は戦乱中の即位のため、即位直後の祭典の実施が叶わなかったか。
  • 39代、43~45代は在位が短いため儀礼を行うに至らなかったとみられる。
  • 24代、49~51代は仏教の帰依によるものか。49~51代は即位直後に皇龍寺で百高座を設け、国王が行幸している。
  • 52~54代、56代は王朝の衰退によるものか。
  • 29代武烈王、46代が参詣しなかった理由は不明。

歴史

  • 6年1月:2代南解王、始祖廟を創立。
  • 25年2月:3代儒理王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。即位翌年。
  • 58年2月:4代脱解王、始祖廟を親祭した。即位翌年。
  • 81年2月:5代婆娑王、始祖廟を親祭した。即位翌年。
  • 113年2月:6代祇摩王、始祖廟を親祭した。即位翌年。
  • 135年1月:7代逸聖王、始祖廟を親祭した。即位翌年。
  • 155年1月:8代阿達羅王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。即位翌年。
  • 170年2月:始祖廟を修復。
  • 185年1月:9代伐休王、始祖廟を親祭し、大赦を行った。即位翌年。
  • 197年1月:10代奈解王、始祖廟に参詣。即位翌年。
  • 198年4月:始祖廟の前の臥柳が自然にたちあがったという。
  • 205年8月:狐が金城や始祖廟の庭で鳴いた。
  • 230年7月:11代助賁王、始祖廟に参詣。即位元年。
  • 247年7月:12代沾解王、始祖廟に参詣。即位元年。
  • 253年:12代沾解王、5月から7月まで雨がなかったので「祖廟」や名山を祭った。
  • 263年2月:13代味鄒王、「国祖廟」を親祭し、大赦を行った。即位2年。
  • 285年1月:14代儒礼王、始祖廟に参詣。即位翌年。
  • 299年2月:15代基臨王、始祖廟を祭った。即位翌年。
  • 311年2月:16代訖解王、始祖廟を親祭した。即位翌年。
  • 358年2月:17代奈勿王、始祖廟を親祭。即位3年。すると紫雲が廟の上を巡り、神雀が廟の庭に集まった。
  • 362年4月:始祖廟の庭の2本の木が枝を一つに連ねた。
  • 404年2月:18代実聖王、始祖廟を参詣した。即位3年。
  • 418年1月:19代訥祇王、始祖廟を参詣した。即位翌年。
  • 435年4月:19代訥祇王、始祖廟を祭った。2月の歴代陵墓の修復と関係あるか。2度目の参詣。
  • 459年2月:20代慈悲王、始祖廟に参詣。即位翌年。
  • 480年2月:21代〓知王、始祖廟を祭る。即位翌年。
  • 485年4月:21代〓知王、始祖廟を親祭。2度目の参詣。墓守20家を増した。
  • 487年2月:21代〓知王、生誕地の奈乙に(別個に)神宮を創設。同書「祭祀志」では22代智証王の代の創建とする。
  • 495年1月:21代〓知王、神宮を親祭。始祖廟だとすれば3度目の参詣。
  • 502年3月:22代智証王、神宮を親祭。即位3年。
  • 516年1月:23代法興王、神宮を親祭。即位3年。
  • 577年2月:25代真智王、神宮を親祭。大赦を行った。即位翌年。
  • 580年2月:26代真平王、神宮を親祭。即位翌年。
  • 633年1月:27代善徳女王、神宮を親祭。大赦。1年間、租調を免除。即位翌年。
  • 647年11月:28代真徳女王、神宮を親祭。即位元年。
  • 668年11月6日:30代文武王、文臣武臣を率いて「先祖廟」に拝謁。百済・高句麗討伐の報告。先祖廟が始祖廟に該当するのかは不詳。即位8年。
  • 682年1月:31代神文王、神宮を親祭。大赦。即位翌年。
  • 687年4月:31代神文王、大臣を「祖廟」に派遣し祭祀を行った。太祖大王(誰を指すかは諸説ある)、真智大王、文興大王、太宗大王、文武大王の霊に祈願。五廟制度の創始とされる。
  • 694年1月:32代孝昭王、神宮を親祭。大赦。即位3年。
  • 703年1月:33代聖徳王、神宮を親祭。即位翌年。
  • 739年1月:34代孝成王、「祖考廟」に参詣。始祖廟に該当するかは不詳だが即位翌年の1月の実施ということからは始祖廟の可能性はある。
  • 744年4月:35代景徳王、神宮を親祭。即位3年。
  • 766年2月:36代恵恭王、神宮を親祭。即位翌年。
  • 恵恭王代:36代恵恭王、五廟制度を改正。味鄒王(始祖?)、太宗大王、文武大王、聖徳大王、景徳大王とする。(祭祀志による。新羅本紀には該当記事はない)
  • 781年2月:37代宣徳王、神宮を親祭。即位翌年。
  • 785年2月:38代元聖王、祖先に追尊すると共に、五廟制度を改正。聖徳大王、開聖大王の2廟を壊す。始祖大王、太宗大王、文武大王、興平大王、明徳大王の五廟とした。
  • 787年2月:38代元聖王、神宮を親祭。大赦。即位3年。
  • 801年2月:40代哀荘王、始祖廟に参詣。即位翌年。五廟制度を改正。五廟を始祖大王、明徳大王、元聖大王、恵忠大王、昭聖大王の廟とした。太宗大王、文武大王、興平大王が外されたが、太宗大王廟、文武大王廟を別に新たに設けた。
  • 802年1月:40代哀荘王、神宮を親祭。即位3年。
  • 810年2月:41代憲徳王、神宮を親祭。即位翌年。
  • 813年2月:41代憲徳王、始祖廟に参詣。参詣は2度目。
  • 827年1月:42代興徳王、神宮を親祭。即位翌年。
  • 833年4月:42代興徳王、始祖廟に参詣。参詣は2度目。
  • 841年7月:46代文聖王の時代、5匹の虎が神宮の園内に入った。
  • 858年1月:47代憲安王、神宮を親祭。即位翌年。
  • 862年2月:48代景文王、神宮を親祭。即位翌年。
  • 872年2月:48代景文王、神宮を親祭。2度目の参詣。
  • 924年10月:55代景哀王、神宮を親祭。大赦。即位1年。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%85%B6%E5%B7%9E%E3%83%BB%E5%A7%8B%E7%A5%96%E5%BB%9F」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール